夢を見ていた。
とても悲しい夢だ。
場所はわからないが、そこには異形の生物の群れで溢れ返っていた。
蝙蝠の翼を持つガーゴイルの様な怪物や、筋肉質で真っ黒な体から四枚の翼が生えている黒羊の顔をした怪物、竜頭の怪物…種類は沢山いる。
ただ共通して言える事は、目を反らしたくなるくらい醜い怪物だという事。
その醜悪な怪物達は人を殺し、喰らっていた。
――やめて!
ティーエは叫んだ。
しかし、怪物達が言う事を聞くはずがない。
誰かに助けてもらおうと辺りを見回すと、そこには愛する人がいた。
ティーエは駆け寄り話し掛け様とした。
――えっ…?
しかし、彼は冷徹な瞳で彼女を見下ろした。
そして次の瞬間、邪悪な気を発する大きな剣をティーエの腹部に刺した。
柔らかな肌と内臓器機を抉り、背中から剣が突き出る。
――嘘でしょう?
口から赤い液体が滴り落ちるのも気にせず、無理矢理笑顔を作って訊いてみた。
嘘と言って欲しい。
抱き締めて欲しい。
しかし、彼は無言でティーエの胸を押して大剣を引き抜いた。
そのままティーエは地面に倒れる。
――どうして?
相変わらず冷徹な瞳で自分を見下ろす彼に訊いてみる。
やはり彼は答えない。
その代わりに、何匹かの醜悪な怪物をこちらに呼び、彼女を運べと命じた。
ゆっさゆっさと揺られ、連れられる。
彼は怪物達が人々を惨殺するのを見て楽しんでいる様だった。
――どうして?どうして?どうして?…どうしてなの?
遠のく彼に、繰り返し繰り返し訊く。
涙が止め処なく溢れた。
――リチャード!
――リチャード!!
――リチャード!!!
何度も何度も愛する者の名を呼んだ。
何度も何度も何度も…。
「…ーエ!」
何かが聞こえた。
同時に体が強く揺らされる。
「ティーエ!大丈夫!?」
――え?
ゆっくり瞼が開かれた。
そこには心配そうに自分を見つめている銀髪の女性と、少し柄の悪そうな男性が映った。
「エリシャに…メルヘンさん?」
上体をゆっくり起こす。
頭が鉛の様に重かった。寝ていただけなのに、既に体が疲労の限界に達している様に思えた。
「大丈夫?凄く魘されてたから…」
エリシャはハンカチでティーエの頬を伝る涙を拭った。
「とても…とても恐ろしく悲しい夢を見ました」
衣服の乱れを直し、ブルッと体を震わせた。
「どんな夢…?」
優しく、そして暖かくエリシャは訊いてきた。
姉の様だった。
実際、ティーエにとってエリシャは姉の様な存在だ。
悩んでいると相談に乗ってくれ、何事も親身になって聞いてくれる。
もし、血が繋がっていたら世界で一番の姉になっていただろう。
「…覚えてません」
暫く沈黙した後、そう答えた。
忘れているワケないのだが、口に出すと現実になりそうな気がしてならない。
「そう…でも、安心して。ここは夢じゃないから、何も恐いものの悲しいものもないわ」
言って、そっとティーエの震える体を抱きしめた。
まるで、どんな夢を見ているかわかっている様に。
もしかすると、寝言で何か言っていたのかもしれない。
「もう、汗だくじゃない。風邪引くわよ?」
ティーエを離すと、エリシャは彼女の着替えを渡した。
レダの王女は微笑み、それを受け取った。
「一安心、だな。いきなりエリシャが部屋に入ってきて、『ティーエが大変になってる!』とか言うからびっくりしたぜ」
“正義の海賊”メルヘンは溜息を吐いた。
「仕方ないじゃない。ほんとにびっくりしたんだから」
エリシャは拗ねた顔をした。
そんなに酷い魘され具合だったのか、と苦笑せざるを得ない。
「じゃあ、俺はコックに朝飯をここに運ぶ様言っとくぜ?」
「コックの料理のせいでティーエが変な夢見たに決まってるわ。即ち、あんたの責任ね!」
ビシッとメルヘンに指を差すエリシャ。
「なんでそうなるんだよ!人の夢まで責任とれるかっ!!それにうちのコックの飯は不味くなかっただろ」
「…それもそうね」
ティーエはそんな2人のやりとりを見ていて思わず噴き出してしまった。
2人も吊られて笑う。
笑い声が部屋に満たされた。
悪夢が薄れていこうとしたその時、部屋に海賊が飛び込んできた。
「か、頭っ!大変でさぁ!!」
肩で息をしながら言う。
「あんたねぇ、仮にも王女の部屋にノックもしないで入ってくるなんて、どういう神経してんのよ!もしティーエが着替え中だったら万死に値するわよ!?」
「ま、まぁまぁ」
メルヘンは今にも殴りかかりそうなエリシャと部下の間に入る。
(…着替え中だったら、俺も叩き出されてるだろうから、部下がここに入ってくるなんて事は有り得ないと思うんだがな)
口に出さずツッコム。
「で、何が大変なんだ?」
部下の方に向き直り、訊く。
「それが…ソラの町が襲撃されてるんです!」
「な、なんだとぉっ!?」
予想していた事とは言え、驚いた。
ウエルトは今やマール、イストリア以外の国と同盟を組んでるに等しいのだ。
ウエルトへの攻撃は、全面戦争を意味する。
それを抑えるためにエリシャ達はウエルトに入り、ジュノーンやアフリード達と対策を練るつもりだった。
「クソッタレ!」
メルヘンは吐き捨てる様に言い、デッキへと駆けた。エリシャもそれに続く。ティーエは着替えをしてからなので、少し遅れた。
彼女達が見た光景は悲惨だった。
20もの軍艦から数え切れない矢が放たれ、ウエルトの民を殺している。
隕石呪文や火矢を放っている船もあり、町は火の海と化していた。
「そんな…」
ティーエは膝をガクリと落とした。
「リチャード…どうして…?」
夢が現実になりそうな気がした。
「頭、ソラの港で戦ってる人がいますぜ!」
双眼鏡を持った海賊が言う。
「なんだと?」
メルヘンは双眼鏡を取り上げ、覗いた。
部下が言っている事は正しかった。
4人の若者が矢を武器で必死で払い退けている。
男か女か分らないが、漆黒の甲冑を纏った長い金髪の騎士と、オレンジの髪と若草色の髪の王族風の男女1人づつ、そして…見覚えのある青髪の少女。
「あれは…サーシャちゃん!!」
他の3人は知らないが、1人は覚えている。
ユトナ聖戦で、共に戦った少女だ。
ユトナ聖戦中、火の巫女・カトリと一緒に、除者にされがちだった自分にも優しく接してくれていたので、よく覚えている。
「サーシャが!?ちょっと、私にも見せなさいよ!」
今度はエリシャが双眼鏡を奪い取る。
彼女はその4人全員に見覚えがあった。
当然だ。
先の破壊竜戦争では一緒に戦った親友達だ。
「サーシャにジュノーン君、レシエやセネトもいる!」
カナン王子とソフィア公女もいるのは予想外で、こんな状況なのに嬉しくなってしまった。
「セネトもいるのですか!」
ティーエも驚きの表情を見せる。
「ジュノーン、セネト、レシエ、サーシャっていやぁ、破壊竜戦争の英雄達じゃねぇか」
「私も一応その英雄の1人なんだけど?」
むっとした表情で答えるエリシャ。
「わ、わかってるって。それより、どうするんだ?残念ながらウエルトには上陸できそうにないぜ?マルス港から入るか?」
敵船に包囲されてる港に入るなんて不可能だ。
「はぁっ!?あんたサーシャ達を見捨てる気!?」
メルヘンの胸倉を掴んで吠えるエリシャ。
彼女にとっては親友達なのだから当然だろう。
「い、いや、そういうワケじゃねぇけどよ…じゃあどうすりゃいいってんだよ!」
メルヘンも苛ついて訊き返す。
「突撃に決まってるじゃない!」
「無茶言うな!こっちは1隻の上、中古で買ったガレー船だぞ?本物の軍船に勝てるワケねぇだろうがよ!!下手すりゃ皆死んじまう!!」
メルヘンも何人もの部下を預かる身だ。簡単に引き下がるワケにはいかない。
「それは分ってるけどっ…」
エリシャが言葉を詰まらせた時、横の海賊が悲鳴を上げた。
「か、頭!マールの軍船が1隻、こちらに向って来ました!」
「なんだと!?」
エリシャから海へと視線を移すと、確かに1隻こちらに向っている。
(どうする?)
メルヘンは自問した。
元々自分達はマールに所属しているわけだから、逃げてはおかしい。
戦うと完全に反逆者だ。
(ホームズよぉ、お前ならこういう時どうすんだ?)
自分を海戦で一網打尽にした人物を浮かべ、訊いてみる。
(お前はどうせカッコつけだから戦うんだろうな)
彼は密かにグラナダの英雄・ホームズを尊敬していた。
グラナダ私掠艦隊の真似事を引き受けたのもその理由があったからだ。
(こんちきしょう…とんでもない事を引き受けちまったぜ)
深い溜息を吐いた。
どうするか迷っていると、マールの軍艦はすぐ近くまで迫っていた。そして隊長らしき人物が大声を張り上げていう。
「お前達はマール私掠艦隊だな?あの4人のせいで船が1隻やられた。早く貴公等も参戦してくれ」
見ると、燃えているマールの軍船が見えた。
沈没は免れないらしく、船員や水夫達が海に飛び込んでいる。
「あなた達、早く攻撃をやめなさい!私はこんな無意味な戦いは認めません!!」
見かねてティーエが叫ぶ。
彼女がこの船に乗っている事に隊長は驚いた。
王宮から姿を消したと聞いていたからだ。
「ティーエ王女!!どうして貴女がここに!?それにエリシャ殿まで!!」
「いいから、早くやめさせなさい!」
もう一度、叫ぶ。
隊長は暫く黙り、考えた。
「…読めましたぞ」
そして、そう答えた。
「マール私掠艦はウエルトと内通しており、王女殿を誘拐したのですな?それで人質に…」
自分の言葉に納得した様に頷く。
(おいおい、何だかワケのわからねぇ事を言い出したぞ?)
また、嫌な方向に話が進んで行っている様な気がした。
「違います!」
「どう違うというのかね、王女?そう言う様にウエルトの王から命令されていたのでしょう?」
隊長は、今助けます、と続けた。
「メルヘンよ!王女と宮廷魔術師殿をこちらに引き渡すなら、死刑は免れる様私が陛下にお願すると約束する!!彼女達を解放してやってくれ!!!」
「………」
メルヘンは黙り込んだ。
「メルヘン…」
エリシャにも答えを決めさせる権限はない。
この答えによりメルヘンとその部下の人生は変わるから。
「……クソッタレ」
長い沈黙の後、そう呟いた。
何かを決意した様な表情だ。
「その願い、断るぜ!俺は俺のやりたい様にやる!!そんな暴君に許しを請う気にはならねぇしな!!」
「な、なんだと!?貴様、本気で反逆する気か!?」
「おうよ!皆、橋を掛けろ!!海賊の強さを思い知らせてやろうぜ!!」
「おー!」
頭のその言葉に、海賊達は奮起した。手に武器を持ち、掛け橋を相手の船に繋げていく。
「頭、最高だぜぇ!」
「さすがメルヘンの旦那!」
「よっ、男の中の男〜!」
口々に頭を称え、敵船へと傾れ込む。
「メルヘンさん…」
ティーエとエリシャが申し訳無さそうに勇気ある頭を見上げた。
「二人揃ってそんな顔をすんなよ。綺麗な顔が台無しだぜ?それに、俺は無理してるワケじゃねぇんだ。俺の今の異名を知ってるだろ?」
“正義の海賊”…港町ではそう称えられている。
「この戦いの善悪は一目瞭然だし、俺は俺の意思に忠実に従っただけだ。気にすんな」
たまたまお前等の都合の良い方に俺の意思があっただけだ、と付け足し、豪快に笑った。
「メルヘン…あんた、今ちょっとだけカッコよかったわよ」
感動した様に言う。
ありがとよ、とメルヘンは笑って流した。
勿論、冗談で、容姿的な事とは無関係だとメルヘンも分っているからだ。
(俺は俺の意思に忠実に従っただけ、か。ジュノーン君も同じ事言いそうね)
“破壊竜を手懐けし英雄”の姿を浮かべて思う。
「よし、んじゃあこの“雷神”様があんたの勇気に免じて一緒に戦ってあげるわ!!」
バンと“正義の海賊”の背中を叩いて宣言する。
「そいつぁ有難ぇ。頼むぜ、エリシャ!」
「まっかせなさい♪」
ティーエも剣を抜き、エリシャの横に並ぶ。
「私も手伝わさせて頂きます」
「おいおい、姫様には危ねぇよ」
「姫様って言っても、あんたよりは確実に強いわよ。邪神と斬り合ってたんだから」
エリシャが忠告する。
「…そうだった」
メルヘンは苦笑を洩らした。見掛けが華奢なだけに、それを忘れてしまうのだ。
2人の逞しい女性は気合の声を張り上げて敵船に乗り込んだ。
メルヘンも曲刀を抜き、その後に続く。
「俺が“正義の海賊”だ!」
そう吠え、目の前の船員を斬った。
かくして、2人の女性の助力もあり、この海戦は“正義の海賊”ことメルヘン達の圧勝に終わった。