サーシャFC

時は少し遡る。
レシエが“戦乙女”の異名に恥じぬ戦いを終えた後、ジュノーンとセネトはソラの町民とウエルト王女・サーシャの元へと駆けていた。
途中、何度も醜悪な怪物が襲い掛かってきたが、2人は力を合わせ、それ等を効率良く屠った。
そして、やっとの思いで跳ね橋まで辿り着いたが、そこで彼等が見たものは虐殺だった。
ジュノーン達でさえそこそこ苦労する怪物達をソラの警備兵団が倒せるハズもなく、町民達を退却させるのもままならないまま怪物達に腹を裂かれ、喰われていた。
もはや警備兵団に生存者はなく、怪物達は自分の獲物に狙いを定めて町民達に襲い掛かっている。
彼等に抵抗する術など無い…逃惑うのみだ。
しかし、空を自在に飛び回る醜悪なそれ等から逃げる事などできるはずもない。

まだ10歳にもならない子供が空から頭を喰いつかれ、何かが折れる音がした。子供の首が向くべき方向へ向いていない。それを見て母親が絶叫していた。その間に別の怪物がその母親を後から剣で突き殺し、その剣に刺さった臓器を舐めている。
ジュノーン達はその光景を見て、呆然とした。
あまりの地獄絵図に怒りなど吹き飛んでしまったのだ。
「お、おいジュノーン、サーシャ王女は?」
「そうだった!」
セネトが先に我に返り、彼の言葉に思い出した様に捜し出す。
すると、主戦場から少し離れたところで子供2人を背に2体の怪物を相手に熱戦を繰り広げている“光の王女”の姿を発見した。
怪物は先ほどジュノーンが倒した種類と同種の竜頭と黒羊頭だった。
サーシャは身体中傷だらけで奮戦していた。
ウエルト宝剣が破邪の力を秘め、傷を回復させるという魔力を持っているからであろう。しかし、魔神武具ほどの力は無い。2体の強力な怪物を屠るのは不可能なのである。
ジュノーンは気合の声を発しながら、黒羊の怪物を後から心臓を貫いた。
この際騎士道精神なんて言ってられない。
しかし、それでも怪物は息の根を止めず、ジュノーンに反撃を加え様とする。
「化け物め!」
金髪の美青年は剣をその巨体から引き抜いて、頭にそれを振り下ろした。
怪物はどす黒い脳漿をぶちまけると、絶命した。
セネトもそれに続き、もう一匹の怪物を相手にしている。
「ジュノーン…」
サーシャは愛する者が来てくれたという安堵感から弱々しい笑みを浮かべて彼の名を呟き、剣を持っていない方の手を腹に当てて倒れた。
名を呼ばれた近衛騎士隊長は慌てて王女に駆け寄り、傷の状態を調べた。
見掛けより遥かに傷が深い。
特に、彼女が手を当てている部分の火傷が酷い。おそらく怪物の火炎魔法でやられたのだろう。
「サーシャ!」
ジュノーンは王女を抱き起こし、名前を叫んだ。
それはもはや絶叫に近い。
「ジュノーン…よかった……」
「よくねぇよ、バカ!どうして逃げなかったんだよ!!」
サーシャの華奢な身体を掴み、呼びかける。
「私が逃げたら…あの子達が…食べられちゃうじゃない」
彼女が庇っていた少年少女の方へ首を向け、絶え絶え呟いた。
「お前は王女だろうが!」
「だって…だって……」
涙目になり、小さな嗚咽を繰り返すサーシャ。
彼女の性格としては仕方の無い事だ。それに、その行動は正しいもので、王族の立場でそんな行動をとれるのは素晴らしい事だと思う。
「ああ、わかってるよ。だから泣くな…」
少し彼女を自分に引き寄せ、耳元で呟いた。
「ううん、ジュノーンは何も解ってないよ…」
「えっ?」
彼女は青年の青灰色の瞳を見つめ、暫く黙った。
そして…
「…ごめんね?」
「なにがだよ」
いきなり謝罪を入れてくる。彼女の意図が読めないジュノーンはもどかしそうに訊き返す。
「私は…レシエさんみたい強くないから…いっつもジュノーンに困らせてばっかり」
「そんな事で謝るな。俺は困ってないし、サーシャにはサーシャにしかできない事があるだろ。レシエと比較する必要なんてない」
「私にしかできない事…?」
「人を癒せる。心も身体もな。サーシャにはあらゆる傷を癒す力がある。俺もお前に会ってなかったら、ずっと人を憎んで生きていただろうからな。
それに、サーシャだって俺に剣で勝ってるんだ…。リーベリア最強じゃないか」
そう言ってやると、彼女は再び弱々しい笑みを浮かべた。
「えへへ。ジュノーンに誉めてもらっちゃった…嬉しい…な」
言い終えると、彼女は虚ろな瞳を瞼で包んだ。
「お、おい…サーシャ?」
揺さぶっても起きる気配は無い。
「サーシャ!」
耳元で名を呼んでも、同じだった。
息はまだある。
しかし、そう長くはもちそうにない。腹部の火傷が致命傷となっているのだ。
(…俺のせいだ)
サーシャと離れた自分が、レシエの言葉に従わなかった自分が憎くて仕方が無い。
レシエには自分で身を守る力がある。
しかし、サーシャはどうだ?
“光の王女”等と呼ばれているが、体力的には普通の女の子と然程変わりが無い。剣術が優れているというだけだ。
そんな彼女が必死に子供達を守り、致命傷を負っている。
王女である彼女が、だ。
それに比べ、自分は何も守れていない。
君主も、民も、町も…何一つとして。
何の為の近衛騎士だ。
何の為の力だ。
彼にはそんな自責の念が襲いかかっていた。
何故、あそこでレシエの心配をしてしまったのか。
すぐに自分が行動に出ていたら、サーシャは救えたかもしれない。
(どうして俺はレシエを…!!)
「おい、サーシャ王女は大丈夫なのか!?」
竜頭の怪物に止めを刺したセネトが、2人に駆け寄ってきた。
「………危険な状態だ」
現実に自分を引き戻し、やっとの思いでそう呟いた。
「なんだって!?」
ジュノーンは彼の絶叫など耳に届かぬ様に、その青灰色の瞳に映る王女の青髪を撫でた。
そして、彼女の愛らしい顔に付着した黒く汚らわしい怪物の返り血を指で拭い、彼は立ち上がった。
「おそらく、警備兵がヴェルジュかグラムに助けを求めに行ってるはずだ。その時は司祭も連れてくるだろう。…それまでサーシャを死守してくれ、セネト」
「…君は?」
「奴等を片付ける」
解りきった事を訊くな、と言うと、首に架けられた笛を口元に運んだ。
竜の笛である。
「待て、ジュノーン!破壊竜を呼ぶとウエルトが…!!」
「………」
セネトの警告を無視し、彼は笛を吹いた。
力強く、甲高い音が絶望の空に広がる。
そして、彼はすぐに現れた。
3対6枚の翼を持つ濃血色の巨竜…破壊竜・ジュリアスだ。
(…この醜い怪物共は何なのだ?)
辺りを見回して。破壊竜は主人に意思を送った。
「さぁな。しかし、そんな事はどうでもいい。
こいつらを滅ぼせ。
お前の爪で、牙で、炎で皆殺しにしろ」
ジュノーンに表情は無かった。
しかし、感じ取れる感情が一つあった。
何もしなくても人を切裂いてしまいそうな殺気だ。
(承知…)
ジュリアスもそれを感じ取って、同調するかも様に咆哮した。
そして近くにいた人型の怪物に灼熱の炎を吐き掛け、醜悪な怪物は一瞬のうちに灰になった。
それに驚いた怪物達はソラの民から手を離し、一斉に破壊竜を攻めた。
ジュリアスはもう一度大きな咆哮を上げ、醜悪なそれを迎え撃った。
主人の注文通りに爪と牙と炎を存分に使い、怪物の死体を積み重ねていった。
一方的な戦いとなった。
破壊竜は怪物達の魔法や攻撃をものともせず、敢え無く噛み砕かれ、引き裂かれ、灰と化した。
地面に叩き落された醜悪なそれはジュノーンに葬られている。
やはり、破壊竜の力は圧倒的なものだった。
(半年前、僕等はこんな化け物と戦おうとしていたのか?)
セネトは自分達が果てし無く愚かに思えた。
“光の王女”が解呪に失敗していたらと思うと、ぞっとする。
残っている怪物はもはやジュノーンと戦っている数体のみ。破壊竜の姿はもう無い。
彼が退かせたのだろうか。
ヴェルジュのエステルとナロンが援軍を率いてやってきた時には最後の怪物の首を“魂喰い”が斬り飛ばしていた。それと同時に、ジュノーンの肩部を怪物の槍が貫いていた。
鎧の隙間を狙われたのだ。
しかし、ジュノーンは無表情のままだ。
勝利の喜びも、傷の痛みさえも感じぬ様に…。
かくして、戦いは終った。

「ジュノーンさん、大丈夫ですか!?」
ヴェルジュの黄金騎士・ナロンが神官を引き連れ、片膝を地面につけている漆黒の甲冑を纏う美青年に駆け寄った。
槍が肩に刺さったままである。
彼の白銀のマントは自分の血で真っ赤である。
「俺はいいから、サーシャを手当てしてやってくれ。あいつの方が重傷だ」
「サーシャ様は今、リー司祭が治療いています。ジュノーンさんも治療しないと、マズイですよ」
ジュノーンから槍を引き抜くと、神官達は癒しの杖を振り、詠唱し始めた。
………
……

「いいって言ったのによ…」
治療を終えたが申し訳無さそうに言った。
彼は今、自責の念に襲われている。
愚かな自分を戒める材料として、痛みが欲しかったのだ。
「よくありませんよ。エステル様に『ジュノーン様を早く治してあげて!』って言われたんですから…」
僕が叱られます、とナロンは付け加えた。
「ああ…そういえば、エステル公女とは少し話したからな」
ロファール王の誕生日祝いの宴の時、たまたま目が合い、少し話したのだ。
何も話すつもりは無かったのだが、彼女の方から会釈してきたので、話すハメになった。
彼女の悲しそうな瞳が印象的だが、話の内容は全く覚えていない。
「ったく…俺の心配する暇があれば、バージェのお兄様の心配でもしてろっての」
「それ、エステル様の前では禁句ですよ」
一応忠告しておくナロン。
もし、その禁句を言ってしまったのなら、1週間は彼女の機嫌が治らない。
そして、
(相変わらず鈍いんですね…)
と呆れた。
エステルがジュノーンに惹かれていることをナロンは知っていた。
彼女の補佐役として働いている彼は、たまに彼女の独り言も耳に入ってしなうのだ。と言っても、おそらく元恋人と故郷に帰った義兄を忘れる為にジュノーンを好きになろうとしているという感じだが。
(全く…世の女性方を独り占めする気ですか?)
一瞬、言ってやろうかと思ったが、やめた。
1人の女性がこちらに近づいてくるのが見えたからだ。
夕日色の髪で、物静かな雰囲気の女性である。
(…そういえば、この公女様もジュノーンさんに首っ丈なんでしたっけ?)
忘れてた、と深い溜息が黄金騎士から洩れた。
美味しい人生送ってますね、と皮肉の一つくらい言ってやりたくなる。
「やっと終ったわね…」
レシエは無意識のうちにジュノーンの横に並ぶと、怪物とソラの民の死体が広がる草原をぼんやり眺めた。
「いや、始まったばかりかもしれない」
美青年もレシエと同じ方を見て、呟いた。
「そうね…」
嘆息して、空を仰いだ。
「お前、怪我は?」
「さっき、町でヴェルジュの神官に治してもらったわ。…それより、サーシャ王女は?」
「…あっちだ」
神官達が集まっている所を指差した。
そこのはリー司祭が必死に癒しの杖を振るい、周りの神官とセネトはユトナに祈っていた。
レシエはその様子を見て唖然とした。
彼女はサーシャが無事とばかり思っていたからだ。
「俺のせいだ…。俺がレシエの指示にさっさと従わなかったから、力が及ばなかったからサーシャをあんな目に…!」
「…貴方は悪くないわよ」
気休めにもならないと思いつつ、レシエは小さくかぶりを振って言った。
「俺は一体何なんだろうな。英雄だの何だのと祭り上げられておきながら、君主も守れない。挙句にウエルトをも危険にさらそうとしている」
自嘲気味に言う。
レシエはそれを哀れむ様な視線で想い人を見つめた。
胸が痛くなる思いだ。
何を言ってやればいいかわからない。
言葉を必死で詮索していたが、黄金騎士の言葉でそれは遮られた。
「ジュノーンさんは悪くないですよ。全部マールが悪いじゃないですか。それに何ですか、あの怪物は。これで破壊竜を戦争に使ったからウエルトが悪いというのは筋違いもいいとこですよ。…あっ!」
言葉を言い終えた時、ナロンが驚きの声を上げた。
怪物達の死体が蒸気と化して、消えていったのである。
「これで、マールが怪物を使ってソラを攻めた、なんて事が通じなくなるのよ。
人間とは愚かな生き物だから、証拠や確証が無いと人の言う事を信じれないの」
悪評や噂の類は喜んで信じるくせにね、とレシエは忌々しげに呟いた。
「そ、そんなのって酷いじゃないですか!僕達が何したっていうんです!?」
あまりの理不尽さに、ナロンは怒りを覚えた。
しかし、それが人という生き物だ。
何故、人とは平和を持続させる事ができないのであろうか。
何故、戦いを求めるのだろうか。
レシエは不思議に思えてならない。
(ユトナよ…あなたはまだジュノーンに試練を与え足りないというの?)
神の問うた。
先の大戦でドルムの野望や破壊竜を止めた…これだけでも偉業は極めている様に思う。
これ以上彼に何を求めるというのか。
そして、自分はそんな彼を助ける事さえできないのか。
「納得できませんよ!どうしてウエルトばかりこんな目に遭わなくちゃいけないんですか!!」
ナロンは変わり果てたソラの町を見て、気が動転していた。
その気持ちもわからないでもない。
ジュノーンは黙って彼の怒りを聞いていた。
彼の怒りを自分に刻みつける為に。
しばらくナロンが喚く様に文句を言っているのを聞いていたが、とうとうレシエは我慢の限界に達し、怒鳴った。
「黙りなさい!あなたがぼやいて、何かが変わるというの!?
それにもう少しジュノーンの気持ちも考えなさい!!今、一番苦しんでるのは彼なのよ!?」
ナロンはハッとなり、美青年を見た。
今回、ウエルトが狙われたのは彼のせいと言って間違いない。
国民の大半は彼を支持しているが、貴族ともなれば話は別だ。
元々は傭兵上がりの下級騎士が、次期国王候補というのに相当腹を立てている。
そして、今回の事件だ。
民はマールを憎むだろうが、貴族は間違いなくジュノーンを憎む。
彼の風当たりが厳しくなるのは目に見えているのだ。
「すみません…ジュノーンさんの気も知らないで」
「いや、いい。少なくとも、今回の戦いで俺がウエルトの状況を悪くしたのは事実だ。
…俺はサーシャやロファール王になんて言えばいい?どう償えばいい?
それがわからない…。俺の命で済めば、それに越した事はないんだけどな」
苦渋の色を顔に広め、金髪の美青年は神官達に囲まれて治療されているサーシャの方を見た。
その青灰色の瞳は悲しみと後悔に沈んでいる。
「そんな言い方しないで下さいよ〜」
「貴族や王族はさぞ俺の死を望むだろうな」
自虐の笑みで口元を歪め、虚ろに呟いた。
「…そんな事、させないわよ」
「えっ…?」
“戦乙女”の呟きに、ジュノーンは首を傾げた。
「貴方には仲間がいるの。“貴方の仲間”は誰一人としてそんな事を望まない。もし、貴方の命を要求する者がいるのなら…私は貴方を守るわ。
それはサーシャ王女やセネトも同じ事を言うと思うけど…」
照れたのか、頬を少し赤らめ言う。語尾が小さくなっていくところが可愛らしいな、とジュノーンは正直に思った。
そして、その言葉に嬉しさを感じた。
仲間という言葉が自分に向けられたのが何より嬉しい。
「…だから、お願い。自虐的にならないで。そんな貴方はもう見たくない…」
俯いて、か細い声で悲願した。
今の彼を見ていると、昔に戻ってしまいそうで恐かった。
悲しみと憎しみだけに支配される昔の彼に。
「…わかったよ。ありがとう」
美青年はそんな彼女の想いに答える様に礼を述べ、サーシャの元へと向った。
本当は手の一つでも握ってやりたいくらい嬉しかったのだが、無粋な彼にはそんな行為はできない。
この場を離れたのは、言わば照れ隠しみたいなものだ。
レシエはそんな彼を喉の奥でククッと笑い、ジュノーンの後を追った。
ナロンはその様子を見送ると、嘆息した。
(…一体、サーシャ様とレシエ様のどっちが好きなんですか)
半年前と変わらない疑問が頭に浮かぶ。
(残念ながら、エステル様は参戦する隙もないですね。可哀想に…)
藤色の髪のヴェルジュ太守の愛娘が哀れに思えた。
当分、彼女のストレスが自分に向けられる事にも変わりがないようだ。
エステルは恋愛をしていないと駄目なタイプなのだろう。というより、今まで愛していた人がいなくなり、その心にぽっかりと開いた穴を埋めてくれる人が必要なのだ。
ジュノーンにはレシエやサーシャという人がいるから無理にしろ、誰か彼女を癒してくれる人はいないだろうか。
もう一度嘆息し、ナロンもジュノーン達の所へ向った。
…………………
…………
……
「リー司祭、サーシャは大丈夫なのか?」
今しがた“光の王女”の治療を終えたウエルト最高司祭・リーに声を掛けた。
「ええ、とりあえず命は取り留めました。かなり危ない状況でしやがね。
数日は目を覚まさないと思います」
「そうか…良かった」
ジュノーン達は安堵の表情を浮かべ、リー司祭に労いの言葉を掛けた。
「こういう時に活躍せねば、私の面目が立ちませんからね」
司祭は苦笑しながら言う。
サーシャが“光の王女”として覚醒してから、大怪我た大病の治療は彼女の役目となっていたからだ。
リー司祭は、他にも治療すべき人がいますので、と頭を下げ、何人か神官を率いてソラの町中へと向った。
それと入れ違いになる様に、エステルが愛馬に跨り現れた。
会釈をして愛馬から降り立つ。
「ジュノーン様もさぞお疲れでしょう。馬車を用意しておりますので、セネト様やレシエ様と共に王宮でお休みください」
「ああ、ありがとう」
ジュノーンも会釈し、笑いかけた。
そうされただけでエステルは顔を紅潮させ、嬉しそうに微笑んだ。
右隣のナロンは、やれやれ、と肩を竦めた。
(もしかして確信犯じゃないでしょうね)
それも考えられるな、とナロン。
わざとエステルに気を持たせて、それで楽しむという男の風上にも置けない最悪な奴…これだけ美青年だったそれも有り得る。
「あ、でもサーシャはどうしようか?一緒の馬車に乗せるにしては狭いな…」
ナロンの怪訝そうな表情に気付く様子もなく、ジュノーンはエステルと話している。
レシエが先ほどとは打って変って不機嫌な顔をしているのにも、勿論気付いていない。
「サーシャ様は私が責任を持って王宮まで送らせて頂きます」
「そうか。じゃあよろしくな」
不思議な事に気付いた。
エステルの口調だ。
自分やラフィンと接する時は明らかに違う。…というより、彼女が敬語を話しているなんて、ナロンは久々に見た気がする。
しかし、こうも自分と扱われ方が違うと腹立たしくなってくる。
「あ、エステル公女。俺に『様』を付けるのはやめてくれないか?なんか慣れなくてさ」
「では…ジュノーン卿と呼びましょうか?」
顎に手を当て、少し悩んだ素振りをして提案するエステル。
「それはもっとやめてくれ。俺よりあんたの方が身分高いし、俺は『卿』を付けられるほどの身分でもない」
ジュノーンは苦笑して答えた。
(じゃあ、ジュノーンさんが敬語使えばいいじゃないですか!)
少し苛つき始めたナロンが正論を心中で呟いた。
レシエを見ていると、複雑な表情をしていた。焦燥感に刈られ、妬いている様な…そんな表情だ。いつも冷静で物静かな彼女のそういった表情は新鮮で、可愛らしい。もしかするとジュノーンはそれが見たいのかもしれない、とナロンは1人納得した。
そうでも考えないと、腹立たしくて仕方ない。
本当のところ、この美青年は何も考えていないのだろう。
エステルにも気を使って話しているだけに違いない。それなのに惚れてられるのが、羨ましかったりもする。
“黒き死仮面”という異名からは想像できなかったが、彼は実のところ優しいのだ。
そして、その優しさとは正反対の残酷性を秘めている。
それは戦によって備わったのではないかと思い始めている。
気付くと、ジュノーンはエステルと会話を終え、レシエと共に馬車に向っていた。
「ほら、ナロン!怪我人の手当てを手伝うわよ!!」
エステルの“いつも通り”の声がナロンの耳に入ってきた。
「…その話し方で喋った方がジュノーンさんへの好感もいいんじゃないですか?」
皮肉を言ってみる。
「な、何を言っているの!つまらない事言ってないで、早くっ」
エステルは顔を赤らめて怒鳴り、馬に乗って町へと向った。
それは怒りからきたものか、恥ずかしさからきたものかわからない。
ナロンも渋々愛馬に跨り、彼女の後を追った。

空は暗雲に包まれていた。
まるで、今のウエルトの様に…。

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