サーシャFC

翌日の昼前、エステルは町の広場に向かって走っていた。
『ジュノーンが広場で待ってるよ』
朝起きると、カナンの王子にそう告げられた。エステルはそれに疑問を感じている。
毎日傭兵達の間を駆け回らなければならない彼に、いつ自分と会う暇があるのか。そして、夜遅くではあるが、館では会えるのに、何故広場なのか。そう思わずにはいられない。
しかし、もし自分の為に時間を作ってくれたのなら、それはとても嬉しい事だ。彼に失礼が無い様、薄くだが化粧もしている。あまり化粧に慣れていないせいで、出発時間が遅れて走らなければならなくなったのだが。
時計台が見えてきた。男性が一人、立っていた。やってしまった、とエステルは自責の念に刈られた。
一秒でも惜しいといいジュノーンの時間を無駄に使わせてしまったのだ。こんな事なら化粧などしなければよかった。
「お待たせしました!申し訳ありませ…」
一度謝罪の為に頭を下げた。しかし、男がジュノーンで無い事に気付き、頭を上げて相手の顔を確認した。
「う…そ」
エステルの目は見開かれ、唇は震えていた。
相手の男性も同じ様な顔をしている。
信じられない、とでも言いたげな表情だ。
「ラフィン兄様…!?」
「エステル…!?」
互いが同時に相手の名を言った。
「どうして…どうして兄様が!?私はジュノーン様に呼ばれてたのにっ…」
「俺だってレシエ公女に呼ばれたんだ」
義兄の方は驚きはしたが、幾分落ち着いていた。
しかし、エステルにはもう何が何だかわからなくなっている。
(ジュノーン様はこれを狙っていたの?)
感動の兄妹の再会を想ってくれたのだろうが、彼は何と残酷な事をするのだろう。
(どうして…せっかく忘れかけてたのに…)
涙が溢れてきた。
理由はわからない。悔しさ、悲しみ、怒り、恨み、感動、歓喜…今はどれにも当て嵌まらない。しかし、少女の涙は止まる事を知らなかった。
ラフィンも何を言っていいかわからず、黙っている。
「…お目当ての人じゃなかったんだから、帰りなさいよ。シャロンさんが待っているのでしょ?」
しばらくの沈黙の後、エステルは義兄を睨みつけ、涙を拭かずに辛辣な言葉を放つ。
薄い化粧は既に涙でぐしゃぐしゃになりつつあった。
「…シャロンは来ていない。ソフィアの竜騎士団が派遣されると聞いたから、俺も同行させてもらったんだ」
「ふぅん、よく大事な人を放っておいて来れたわね。ま、別に兄様なんかいなくっても、どうとでもなるのよ。ジュノーン様はとっても強いんだから!」
鼻を鳴らし、うつむいた。
ラフィンには、こんな物の言い方しかできないのか、と自分に叱咤したくなる。
「エステル…お前、俺とシャロンを勘違いしてないか?」
その言葉に、エステルは顔を上げた。
「あいつは元恋人だ。バージェに帰ってもそれに変わりはない。俺が帰った理由は、ただ祖国を復興したかったからなんだ」
「う、嘘よ!そんな事言って今更私の機嫌を取るつもり!?」
エステルはかぶりを大きく振り、それを否定した。
「嘘じゃない!」
ラフィンも声を荒げる。しかし、すぐに自分を落ち着けた。
「…それと、確かに俺の力では今回の戦争には大して役に立てんかもしれん。でも、来たかったんだ。何故かわかるか?」
「わかるはずないでしょう!?」
こんな神出鬼没な男の気持ちなど、わかってたまるか。
エステルとしてはそういう想いだった。
聖戦が終わってから今までエステルがどんな気持ちで生きてきたかこの男は全くわかっていない。
「そうか…」
ラフィンは一度そこで言葉を切った。
「何よ…そこまで言ったんなら言いなさいよ!!」
暫くの沈黙の後、ラフィンは意を決し、本心を言った。
「…お前に会えるかもしれないと思った」
「………え??」
その言葉で、エステルの頭は真っ白になった。
その真っ白な頭にラフィンの言葉がこだまする。まるで石化呪文を掛けられた様に動けない。何も考えられない。
そんな義妹の事は知らず、ラフィンは続けた。
「バージェに帰れば俺はヴェルジュの事など全て忘れてしまう…お前はいつかそう言ったな。
でもそれは違う。俺はお前の事を忘れた時などない」
「………」
あまりにも意外すぎる言葉、あまりにも夢の様な言葉…少女の時は止まっていた。
「エステル…お前を愛してる」
夢にまで見た言葉を彼は言っている。これは夢か?いや、夢に違いない。こんな事が起こるはずがない。エステルにはそう思えてしかたなかった。
しかし、愛しい義兄はさらに夢の様な言葉を続けた。
「義理とは言え、兄が抱いていい感情じゃないのはわかっている。もしお前が誰かを好きなら、それでいい。俺は邪魔をしようとは思わない。ただ、これだけは知っていて欲しかった…」
ラフィンはせつなげな瞳で彼女を見ていた。
天空の騎士≠ニ呼ばれ、戦場での勇ましい姿からは全く想像できない、弱々しい瞳だった。
エステルはかぶりを再び大きく振った。涙が散る。この涙の意味は、わかった。
感動、そして歓喜だ。
「…兄様はちっとも私の事をわかってくれてないのね」
「…?」
ラフィンは愛しい義妹の言葉を理解できず、首を傾げた。
「私は…ずっとあなたが好きだったのよ?兄としてではなく、男性として…ずっと、何年も前から…」
笑顔を作ろうとしたが、涙が込み上げてきて、失敗した。それを隠す為に愛する者の胸に顔を埋める。
ラフィンは驚きを隠せない様だったが、そっと髪を撫で、抱き寄せた。
この二人の間で、新たな時が産声を上げたのだった…。



「なぁんて感動的な再会なのかしら!!」
二人の様子を陰から盗み見していた英雄の一人、エリシャがハンカチを目に当て、大袈裟に感動する。
「…もう帰っていい?おもしろい事があるからって聞いたから着たのに、ノゾキだなんて…」
その横でカナン地方では戦乙女≠ニ呼ばれている女性…レシエが不機嫌な様子で呟いた。
「感動しなかったの?大きな壁を乗り越え、互いが互いの気持ちを理解して本当の愛に目覚めた清らかな男女の物語に!」
まるで詩人の様な言い回しで、レシエに詰め寄るエリシャ。
「それは否定しないけど…」
「ん?否定しないけど、なぁに?」
意地の悪い笑みをし、エリシャは瞳を覗き込む。レシエは答えれなかった。言葉にできない煮え切らない物が胸の中で暴れ回っている。
正直、不快だ。
「当ててあげよっか?
要するに、羨ましいんでしょ?愛する人が愛を唱えてくれるって事が。それと、素直になれたエステルもかな?」
「…っ!!」
自分でも言い表せなかった言葉を見事に当てられ、胸の奥が軋んだ。
「違う!私は、ただジュノーンを助けたいだけだから…っ!!」
レシエは最後まで言葉を繋げられないまま、背を向けて立ち去ろうとした。何と繋げていいかもわからない。
「そうやって、自分を騙し続けるワケなんだ?」
背中ごしに言われた言葉が、矢の様にレシエの胸に突き刺さる。
「あのね、レシエ…そうやって自分を隠すところもあなたの魅力かもしれないけど、たまには素直になるって事も必要なのよ?」
その矢は更にレシエの胸をえぐった。
レシエはエリシャを無視して、速足でその場を去った。

ジュノーンを助けたい…その気持ちに偽りは無い。ただ、何の感情がその気持ちを生み出したか…それは考えたくない。いや、考えてはいけない。
想いは届かなくていい…昨日そう誓ったばかりなのに、彼女の心はもう誓約を破ろうとしていた。
(エリシャ、お願いだから余計な事言わないで…)
震える手を胸に当て、路地裏で佇んだ。
胸が痛い。
この痛みが取れる時は来るのだろうか。

さっきまで晴れていた空は、黒い雲で覆われていた。
空の涙に打たれ、レシエは愛する者の名を呟いた…。

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