サーシャFC

サーシャの周りに味方はいなかった。というより、人がいなかった。
あの開戦の時、サーシャはエステルと共に軍の真ん中辺りにいた…はずだった。しかし、以前ジュノーンと歩いた遊歩道が無くなっている事に気付き、少なからずショックを受けていたところ戦が始まり、その後は無我夢中でいまいち覚えていない。何人もの男と戦ったが、結局命は奪えなかったという事は記憶している。人を殺すという事に激しい拒絶感を覚えたからだ。
怪我をしている味方を神聖魔法で治療しつつ戦っていたが、途中から戦意の無い自分などがいるとかえって迷惑なのではないかと思って退いたのだった。正確にはジュノーンを捜していたのだが、彼は奇襲を仕掛けてきたマール騎兵を討ちに行ったらしく、元の場所にはいなかった。暫くすると、その左翼から歓声と悲鳴が聞こえてきた。
ジュノーンに何かあったのでは無いかと思い、そちらに向かおうとしたのだが、数人の歩兵がいきなり斬りかかってきて回避するので精一杯となった。
やっとの思いでその歩兵達を撒いた時、サーシャは主戦場からはえらく離れた浜辺にいた。槍は折れ、天馬は疲れ飛翔する力すら残っていない。体の節々が痛い。命があるのも不思議に思えるくらいだった。
サーシャは深い溜息を吐くと、使い物にならなくなった槍をポイと放り出した。
マール騎士が一騎、槍を振り飾して馬を駆け寄せてきたのはその時である。
サーシャは全身に緊張を走らせ、ウエルトの宝剣“マインスター”を抜いて迎え討った。
最初の激突後、サーシャよりも天馬が根つきて横転してしまった。サーシャは空中で一回転して着地し、馬上から突き出された槍の穂先を剣の一閃で斬り落とした。自分でびっくりした。まぐれとは言え、ジュノーンを破った剣技は、案外本物なのかもしれない。
騎士はただの棒となった槍を放りだし、剣を抜いた。
「やるな、小娘。こんな娘がこれほどの剣技を持っているのだ…我々が負けるのは当たり前かもしれぬ」
アルベルトが退却した事により、敵兵も戦場から離脱し始めた。この騎士もその一人だったのだが、偶然にもサーシャと遭遇してしまった。
「しかし俺は負けぬ!!」
強烈な斬撃が襲いかかってきた。サーシャはかろうじで跳ね返していたが、掌から肩まで走った衝撃は、小さなものではなかった。痛みが消える間もなく更なる斬撃が襲いかかってくる。左右に剣光が閃き続け、ほとんど本能と反射のみでそれを防ぎ続けた。馬上の敵に対して徒歩で戦う不利を思えば、サーシャの善戦は奇跡と言えよう。
「小癪な!!」
「もうやめて!!勝負がついた今、私達の戦いは無意味なのよ!?」
「命乞いか、小娘!!」
嘲弄に続く斬撃。
同僚を殺された恨みが、全てサーシャに向いている様だった。
(違うよ…どうしてわかってくれないの?)
剣と剣がぶつかり、火花が散る。
握力が徐々に無くなり、剣を握っている事さえ辛くなってくる。
「あっ…」
騎士の連続攻撃を防ぎきれず、“マインスター”がサーシャの手元を離れ、砂浜に突き刺さった。
勝ち誇った笑みが、騎士の顔に広がっていく。
騎士は剣を振り上げ、そのまま垂直に降ろした。
ゆっくり剣が自分の目前に迫ってくる。
(…もう駄目みたい)
体が硬直して動かなかった。疲労に諦めが加わり、動かなくなってしまった様だ。
(きっと、逃げてばっかりいた罰だよね…?)
両親の顔が浮かんだ。楽しかった日々が走馬灯の様に流れた。自分は家族に恵まれていたと思う。サーシャの事を誰よりも可愛がり、全てを許してくれた両親。しかし、自分は何も親孝行できそうになかった。
次に浮かんだのは、金髪の美青年だった。サーシャの心をほとんど独占している美貌の黒き騎士。
(最後に我が儘言わせてもらえるなら、一目だけでもジュノーンに会いたいな…)
そう願って目をつぶった時だった。
乾いた金属音が耳に残る。
騎士の剣に短刀が命中した音だった。遠方から放たれた短刀が正確に剣を捉らえ、その方向をずらさせたのだ。
はっと目を開け、顔を上げた。視線の先にいたのは深緑の竜を駆る美青年だった。騎竜は上空に炎を吐き、機嫌の悪さを見せている。
「ジュノーン…」
サーシャは喜びで泣き出したくなるのを必死で堪えた。神は願を叶えてくれた。
それに対して騎士は逆に恐怖で顔が歪んでいる。先程の悪夢を忘れるわけがなかった。同僚の血を雨の如く浴びた黒き鬼神を。
「…今すぐ去るなら許してやる。失せろ」
ジュノーンは冷たく言い放った。その声色のみで人の心を凍てつかせる程の残酷性を秘めた声だった。証拠に、青灰色の瞳からは殺気以外の何物でもないものが浮かび上がっている。
脅しではない事は誰の目にも明らかだった。
マール騎士は急に頭痛と悪寒に襲われ、油汗が体中から吹き出し、そして吐き気を催した。鬼神の殺気に満ちた眼光を受け、体の機能そのものがおかしくなったのだ。その後に彼は発狂したかのごとく悲鳴を上げ、この場から逃げ去った。
ジュノーンは騎竜から跳び降り、サーシャの元に駆け寄る。
「ジュ…」
サーシャは彼の名を呼ぼうとした。しかし、言葉にすることはできなかった。サーシャの口は塞がれていた。
目の前には、覆い被さるような格好で自分に口付けする、ジュノーンの顔があった。
ジュノーンの前歯が、サーシャの唇をそっと噛んだ。
そのまま砂に体を押し付けられ、息が詰まるほど強く抱き締められると、自分の口から吐息のようなかすかな声がもれたのがわかった。彼はその声もすくいとる様に唇を重ねた。
息をする間すらもどかしく感じた時だった。少し冷たい海風の中で、彼と触れているところだけが、灼ける様に熱い。
「ジュノーン…」
口付けの合間に、呼びかけてみた。
彼は弱々しい瞳で自分を見つめる。これがさっき眼光だけで敵を追い払った瞳と同じものとは思えなかった。
「ごめん…サーシャ」
彼はサーシャの顔についた汚れを指で拭い、弱々しく呟いた。
「どうして謝るの?」
「………」
「なぁんにも悪い事されてないのに謝られると、どう反応すればいいかわかんないよ」
「…今までの事全部含めて、ごめん」
「だーかーらぁー、それがわかんないってば」
言いつつも、サーシャの瞳からは涙がぽろぽろ落ちていた。
もしかしたら本当はあの騎士に斬られて夢を見ているのかもしれない、と自分の目を疑った程に信じられない出来事だった。そんなサーシャの気など知らず、ジュノーンはぽつりぽつりと言った。
「…サーシャを傷つけた事とか、守ってやれなかった事とか……とにかく一杯あるんだよ」
彼はサーシャに重たい思いをさせない為、砂浜に肘をついている。痛いだろうな、と余計な心配をしてしまう。しかし、彼のそんな気遣いが嬉しかった。さざ波の調べも、心地良い。
――言うなら、今しかない。
少女は勇気を振り絞り、今まで言えなかった言葉を呟いた。
「……きだよ」
「え?」
ジュノーンは聞き取れなかった様子で、サーシャの口元に耳を近づけた。サーシャは自分の心臓が飛び出そうになるのを感じつつも、彼の美しい耳にもう一度言ってやった。
「…大好きだよ、ジュノーン」
そっと彼の首に腕を回す。
顔が真っ赤になっているんだろうと思うと更に恥ずかしさが増した。
すると、今度はジュノーンがサーシャの耳元に口を近づけて答えた。やはり小さな声だった。
「俺も、サーシャが大好きだ」
彼も恥ずかしくなったのか、もう一度サーシャを抱き締めた。
戦争の最中というのを半分忘れかけていた。それほど幸せな時間だった。
「さっきね、お祈りをしてたの」
「お祈り?」
抱き合った姿勢のまま、二人は囁きあっている。
騎竜と天馬も、知らぬ間に姿を消していた。各自の主人の気を使ったのだろうか。
「うん…最後に一目だけでいいから、ジュノーンに会いたいって」
「叶ったな…」
言うと、サーシャは首を横に振った。
「私、『会いたい』とは願ったけど、『キスされたい』なんて全然考えなかったもん」
「えっ…嫌だったか?」
少し不安そうな表情になるジュノーン。それすらもサーシャは嬉しく思う。
自分だけに見せてくれる表情。
もっとも、彼にはそんな自覚は全く無いのだろうけど。
「ううん、すっっっごく嬉しかった」
「何だよ、それ」
今度は安堵の溜め息を吐く、と予想すると、ジュノーンは予想通りの行動をした。それが可笑しくて、愛しい。
「ねえ、それよりセネト王子の加勢に行かなくていいの?」
「…お前、いつからそんな意地悪になったんだ?」
拗ねた口調が可愛かったので、思わずクスっと笑ってしまった。
「そんな意味じゃないってば。ただ、大丈夫なのかなって」
「セネト達なら大丈夫さ。アルベルトの退却によって敵はほとんどマール王宮に逃げ帰った様だし、城の中には城兵が数人いる程度。だから……」
「だから?」
「もう少しだけサーシャとこうしてたい。…駄目かな?」
青髪の美少女はかぶりを横に振った。
駄目なわけがない。自分が何年も望んだ事なのだから。戦っている皆には悪いが、自分の夢を優先してしまおう。
もう一度、唇が合わさった。
遠くの方で歓声が聞こえた。城を陥落させたのだろうか。
しかし、二人の耳にはそんなもの全く入っていなかった。
彼等の間では、時は止まっていたのだから…。



「全く、気楽なものだね」
少し離れた丘で戦場全体を見渡す様にしていた“六賢者の一人”アフリードが、戦場とは逆の方向に位置する浜辺を見て深い溜息を吐いた。
二人の男女が抱き合い、全く動かない。あそこだけ時が止まっている様だった。
「よく言うわよ。サーシャがやられそうになった時めちゃくちゃ狼狽してたのはどこの誰だったかしら?」
横槍を入れたのは、“雷神”ことエリシャであった。
彼女の隣にいるレダの王女・ティーエも顔を赤らめながらも、ジュノーンとサーシャの様子をこっそり盗み見ていた。
「誰でも焦ると思うがね。現に、君も焦っていた」
言い返されて黙り込むエリシャ。彼と論議して勝てる自信は、さしものエリシャにも無かった。
「それにしてもジュノーン君、レシエがいなくなった途端にコレとはいい度胸してんじゃない。今までの優柔不断ぶりは何だったわけ?」
エリシャとしては、納得のいかない事だった。
サーシャの願が叶った事は良い。しかしこれではレシエが可哀相過ぎるのではないか。次に会った時、あの二人はどんな顔をするつもりなのだろう。
「サーシャ王女がレシエのいない間にジュノーンを奪った、と言いたいのかね?」
「そうとは言わないけど…」
フェアでないとは思う。
レシエが出陣してから、あの二人が一緒にいる時間が多くなっていた事には気付いていた。二人で見周りをしたり、ジュノーンに時間がある時はサーシャが彼を引っ張って買物に付き合わしていたものだ。それはやはり、レシエのいない間にサーシャがジュノーンの心を掴もうと必死になっていたものだとエリシャは思っていた。女の勝負にフェアも何もあったものでもないが、もう少しやりようがあったのではないか。
これではジュノーンがレシエを弄んだも同然だと思う。なぜなら、彼の心は明らかにレシエに向いていた様に見えていた。
「それは違うよ、エリシャ」
心を見透かした様に、賢者は昔と変わらぬ口調で言った。
「ジュノーンがサーシャを愛していたというのは、紛れもなく事実だった。彼のサーシャに接する態度を見ていたらわかる」
「わかんないわよ!だって、レシエにも優しくしてたじゃない!!」
少し反抗的に言葉を返した。少なくとも彼よりジュノーン達の事を知っているつもりなので、その言葉に納得できなかった。
「確かにね。それも否定はしない」
「はっきりしなさいよ!!」
徐々に喧嘩腰になってくるエリシャに、アフリードは苦笑を漏らした。昔から、こうやって噛み付いてくる面だけは全く変わっていない。
「これは推測の域を出ないんだがね…ジュノーンは昔、レシエの事が好きだったのではないかと私は思うんだ」
アフリードは以前レシエにジュノーンの事を色々尋ねた事があった。
あの頃のジュノーンを知っている者は、今の彼を別人というかもしれない。そのくらい彼は変わったとレシエは言った。
彼女から聞いた話によると、先程戦場で見せた鬼神の姿…あれが常に表に出ているといった感じだろう。
数年の間にジュノーンは変わった。そして、変えたのは間違いなくサーシャだ。
しかし、ソフィアを出てレシエの母君の仇であるカルラの命を狙いにいった話等を聞いていると、やはりジュノーンもレシエの事を少なからず想っていたに違いない。
おそらく彼に対して誠心誠意を込めて接した人間は、レシエが初めてだったのではないだろうか。しかし、素直でなかったジュノーンはそんなレシエに対しても反抗的だった。恩を仇で返してしまっていると彼の中には強い罪悪感があった。その罪悪感が残ったまま時が経ち、二人は再会した。
しかしその時には既に彼はサーシャを愛していた…。
則ち、サーシャへの愛とレシエへの感謝と謝罪の気持ち…これらがジュノーンの中で葛藤となり、あの様な三角関係を作り出してしまったと予想できる。
「…確かにそうなのかも」
相変わらず見事な洞察力のアフリードに感心しながら、エリシャは嘆息した。
「しかし、彼の出した答えが正しいのかどうか…それは私にも解らない。私達などが善悪を決めていいものでもない。それを決めるのは、どこか別の世界にいる、他の誰かだ」
一旦言葉を切り、視線の先を浜辺の二人から大海原に変えた。
「彼もきっと悩んでいたのだろう。レシエに対する気持ちが、感謝の気持ちなのか恋なのかも判断ができなくなってしまうくらい。過去の感情と今の気持ちが混ざったのかもしれない。彼の中で何度も葛藤していたのだと思う。『自分なんかが選んでいいのか』『自分なんかが人を不幸にして良いのか』とね。…私には、その気持ちがよくわかる」
アフリードは、ちらっとエリシャを見たが、また視線を海原に戻した。
(母さんの事…?)
レダ解放戦争後、彼はエリシャの母を受け入れられないと言った。当時は腹を立てたが、その理由も今は理解し、納得している。
「残酷だが、恋愛とはエゴの塊だ。誰かを幸せにするという事は、誰かを不幸にするという事。…それが嫌なら、恋などすべきではないと私はあの時気付いた」
エリシャは食い入る様にアフリードの横顔を見つめていた。目頭がどんどん熱くなってくる。
「決断をする事は、とても辛い。自分の出す答えが正しいかどうかもわからないし、それまで築いた関係が全て崩れてしまうかもしれないのだからね…。それでも選ばねばならぬ時がある。いつまでも答えを先延ばしにしているかぎり、一生立ち往生してしまう…つまりは、前へ進めない」
「………」
彼も悩んでいたのだ。母の事と、ウエルトにいる妻子の事を。
それが何より嬉しかった。
「ジュノーンの選択が正しいかは解らない。しかし、彼が選択したという事は…私は正しいと思う」
もしかすると…アフリードはそう自分に言い聞かせて今まで生きてきたのかもしれない。
自分の選択に、今だ自信を持てていないから。
そう考えると、いかに自分が浅はかだったかをエリシャは思い知った。
母にも、彼にも申し訳なくなる程に。
「そうね…。でも、わかる事もあるわよ?」
アフリードは、視線をエリシャに向けた。どこか恐れている様な目である。またエリシャに辛辣な言葉を投げ掛けられると思ったのだろう。
「アフリード様の…父さんの選択は、間違いじゃなかったって事よ」
涙が溢れそうになるのを、グッと堪える。
初めて父と呼んだ時だった。それは同時に、エリシャが初めて素直になった時だと言えた。
「エリシャ…」
彼の瞳にも、うっすらと膜が張っている。
彼なりに、娘として自分を愛してくれていた。母の事も考えてくれていた。それ以上に何を望んでいたのだろう。途端に今までの自分がバカらしく思えてきた。
「そろそろ行こっ!!人の抱擁なんか見ててもと腹立ってくるだけだし、次に向けて作戦も立てなきゃいけないし」
エリシャは父の腕を引っ張って城に向かった。
その光景は、娘が父を連れ回して買物をしている様な、そんな風にも見えた。
ティーエはそんな二人を微笑ましく思うと、親子の邪魔にならない様に後ろをついて行った。
行く間際に浜辺の二人を見てみると、ジュノーンはサーシャの上から降りて、隣に横になっていた。彼女の首の下に腕を差し入れて抱き寄せている。
愛の言葉を囁き合っているのだろうか。それともただお互いの存在を感じているのか。
どちらにしろ、羨ましい光景である。二人を見ていると、ふと婚約者の顔が浮かんだ。
(リチャード…)
強気で傲慢で、でも本当は優しいリチャード。
自分を守ってくれると言ったリチャード。
ティーエは沈みかけた夕日に祈る事しかできなかった。
どうか無事でいて下さい、と…。

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