レシエを加えての会議が始まった。
大守の間に集まったのはサーシャ、ラフィン、アフリード、エリシャ、レシエだけだった。セネトの姿は、やはりない。
「ここを脱出する策なんて本当にあるの?」
あまり切羽詰まった様子のないジュノーンに、レシエは少し心配になったようだ。
「ある。一つだけな」
「四方八方敵に囲まれてるこの状況で?」
「まぁ、ないって言っても死ぬだけだからな」
ジュノーンは欠伸をして答えた。レシエの表情に苛立ちが募る。
「なら、聞くけど…まさか敵の包囲が薄い北から突出する、なんてバカな事言わないでしょうね?」
「よくわかったな。その通り」
レシエは一瞬沈黙してしまった。呆れを通り越てしまっただ。深い溜息を吐いて、額に手を当てた。
「まさか貴方がそこまでアホだとは思わなかった…あんなの、敵の誘いに決まってるでしょう?彼等は私達が飛び出したところを左右から挟み撃ちしようとしているのよ。それくらいわからないの?」
ソフィアに帰りたくなってきた、とレシエは付け足すと、テーブルに突っ伏した。何の為に命がけでここまで戦ってきたのか、愚かしく思えてきた。
「ちょっと待てよ。落胆するのはこの紙を見てからにしな」
「え?」
レシエは顔を上げ、差し出された紙に目を通した。しかし彼女の表情は怪訝なものになってゆく。
「なに、この数字」
紙には何やら数字がびっしり書かれていた。
レシエは隣のサーシャに紙を渡した。やはり同じ様に、彼女もわけがわからないといった表情を見せた。
順に紙が回って行き、最後にアフリードの元に来た時、初めて『怪訝な反応』以外のものがでた。
「ほう…考えたね。もうこんな時期か」
「何とかなりそうだろ?」
「ああ。しかし、まだ計算が甘い」
紙を指差して、アフリードはジュノーンに指摘した。
「少し粗末過ぎる。これでははっきりとした好機が掴めない。私がもっと正確に計算しよう。少し時間がいるがね」
「どれくらいの精度で計算できる?」
「秒単位だな」
アフリードはにやりと笑い、素早く答えた。弟子の成長が嬉しくて堪らないらしい。まして、自分が考えもしなかった策を思いつくとなると、余計にその感情は増す。
「それは助かる。さすがは賢者様だな」
微笑して、ジュノーンは言った。
「君は敵陣をもう一度見てきたまえ。何か異変に気付くはずだ」
「…陣?わかった、見てくるよ」
ジュノーンは席を立ち、部屋を出た。その他の面々もその後に続く。
そのまま城の城壁をぐるっと見回す様にして歩く。
サーシャは後ろをぴょこぴょこと跳ねる様にして可愛く(ジュノーンにはそう見えた)歩きながらついてきていた。
「ねね、何がどうなるの?」
「お楽しみだな」
「教えてよぉ、いぢわる」
レシエは腕を組み、憮然とした表情をしていた。知らぬ間にジュノーンが並外れた知識を持っていた事が気に食わなかった様だ。
「私としては、何が起こるか知っておきたいのだけど?」
「ああ、それなら安心しろ。アフリードが計算し終えたら、レシエは外にいる竜騎士団のところに戻ってくれ」
「…私はお払い箱って事?」
予想に反して、どこか悲しそうな表情だった。彼としては前みたいに掴みかかってくる勢いで反論してくると思っていたのに。
「違うって。外の竜騎士団がいなければ、俺達の脱出は不可能なんだ」
「ふぅん…」
レシエは半信半疑ながら頷いた。
ちなみに、オークス側にある森の中に天馬騎士団と竜騎士団の約二千騎が待機している。脱出の際に、手助けをしてもらう為だ。どちらにしても誰かが伝令をしなければならないわけで、それはやはり最高峰の騎竜術を持つレシエが相応しいだろう。そうとわかっていても、ジュノーンには『傍にいてくれ』と言われたかったのだった。
しかし、彼女は気付いていなかった。彼がサーシャを見る時こそが、何よりも優しい瞳をしているのだと。
敵の陣容は、東西南北に兵が沢山いて、北を攻囲する隊だけがかなり手薄となっている。しかしそれはレシエの言う通り、誘いに違いない。
城の周辺を確認すると、ジュノーン達は再び大守の間へと帰ってきた。アフリードは机の上の紙に向かって計算していたが、彼等が戻ってきたのに気付いて手を止めた。
「ミョー…だな」
ジュノーンは難しい顔をしてそう呟いた。当然、皆怪訝な顔をする。
「何が変だと言うの?」
「俺から見れば、正攻法だぞ」
レシエとラフィンが同じ様な意見を述べた。サーシャなどは基本の兵法を知らないので、ラフィンが簡単に説明してやっていた。
城塞攻略の際、逃げ道を完全に遮断すると、城兵は死兵となる。そこで、敢えて一角に隙を作る事により、城兵をそこに誘い出して全滅させる。そうした手段を敵は選んだのだ。
サーシャは感心した様に頷いた。あまり死に対する恐怖は見られなかった。
『サーシャ王女は恐くないのか?』
ラフィンは先日、そう尋ねてみた。彼女の答えはこうだった。
『ジュノーンを信じてるから…』
一言だけ、そう言ったのだ。おそらく心底信頼しているのだろう。ラフィンはそこまで信頼してもらえるジュノーンに、少なからず嫉妬を覚えたほどだった。
彼女は今も信頼と愛情の眼差しで、ジュノーンを見ていた。
彼はそんな眼差しに気付く事なく続けた。
「正攻法過ぎるんだ。あの布陣は誰にでもできそうで、できるものじゃない。それなりに戦を知っていないとできないんだ」
「だから?敵にはまだアルベルトがいるわ。彼の指揮ではないの?」
ジュノーンはレシエの問いにきっぱりと答えた。
「…違うな。あれはアルベルトの才ではできないと俺は思う」
この前に戦ってわかった事なのだが、アルベルトはどちらかと言うと内政力や外交に優れていて、戦闘はさほど得意ではない。戦闘力だけ取ればロレンスの方が遥かに高い。
「それと、もう一つ…魔神の魂に操られているリチャードが正攻法しか使わないのは明らかにおかしい。辛辣な策なんて、いくらでもあるんだからよ」
「辛辣な策とは?」
アフリードが興味ありげに聞いた。皆は黙ってジュノーンを見ている。
「まず、魔神を使っての夜襲だ。こちらが混乱してる時に四方から敵に城門を突破されたら一夜のうちにやられる可能性もある。あとは病死体を投石機で打ち込んで死病を流行らせるとか、鳥に麻屑を結んで火を放つとかだな」
兵法を知るレシエやラフィンは唖然としてそれを聞いていた。彼等は今までそんな残酷で有効な策など思いつきもしなかった。これはジュノーンの才能を表していた。それを知らぬサーシャ達にも充分に辛辣だとわかり、顔が少し青ざめている。
「…凄い事を思いつくね。君には悪人の素質もあるよ」
「うるさいな」
愉快そうにアフリードは笑った。やはり並ならぬ才能を持っている事が確認できたかの様だ。しかし、それだけに残酷な運命が彼を襲う。
「それで、君はどう見る?」
「…あくまでも推測だが、敵軍を指揮しているのは正気を取り戻したリチャードだ」
室内に戦慄が走った。
今まで魔神と思って戦っていたのに、その敵が人間だと言う事は、これはただの戦争に成り下がってしまう。
「なっ…それは本当なの!?」
いつも冷静なレシエもさすがに驚いている。
「推測だって言っただろ?信じるなよ」
「いや、私も同じ結論に辿り着いた。その可能性は高いだろう」
アフリードがジュノーンの考えを肯定した。これは、よもやジュノーンの智が“六賢者”に匹敵する事を意味する。
(ジュノーン、貴方は一体どれほど成長すれば気が済むの?)
もはやレシエ達の手の届かぬ所に彼がいる。それは実感した。ラフィンも同じ事を思っていたらしく、彼と目が合うとその気持ちが伝わってきた。
サーシャだけはジュノーンの顔にずっと視線を送っている。そこから僅かたりとも動こうとはしない。敬愛と親愛と、全幅の信頼。そんな視線だった。
「これはティーエに言った方がいいかしら?」
今まで黙って聞いていたエリシャがジュノーンに聞いた。
「いや、黙ってた方がいいな。まだ確信が無いし、下手に希望を持たせるのも可哀相だ。それと、これは傭兵達にも言わないでくれ」
彼の言葉に、一同は頷いた。下手に噂が回って味方が混乱する可能性があるからだ。
「リチャード復活、ね。これは吉と出るか凶と出るか…」
エリシャは独り言の様に呟いたが、アフリードはそれに対する明確な答えを持っていた。
――凶だ。
彼にとってリチャード復活は最悪そのものなのだ。おそらくジュノーンも気付いているだろう。ティーエに限らず傭兵達にも伝わらない様に頼んだところから、それは理解できた。それが軍に広まると、傭兵軍は壊滅する。
滅ぼされるのではなく、自然に滅ぶのだ。
その理由を知るアフリードとジュノーンだけが、暗い表情をしていた…。
(何故この体が自由に動く様になったのだ?)
天幕の玉座に腰掛け、魔神に体を乗っ取られたはずのリチャードが手や腕を動かし、自由になった事を確かめる。
「陛下、如何なさった?」
傭兵らしき人物が彼の動きを不審に思い、問い掛けた。
「最近体を動かしていないからな」
玉座の横に立てられた魔剣“エクリクシス”を片手で持ち上げ、一振りした。
「もうすぐ動かせましょう。勝利はもはや決まっております」
「…そうだな」
リチャードは気の無い返事をした。
この傭兵はリチャードが体を取り戻したのと同じ時期に入隊を希望してきた。どうも都合が良すぎる。
傭兵は長い黒髪が目に入らぬ様、バンダナを巻いていおり、竜革で作られたと見られる鎧を身につけている。腰にはリーベリア大陸では見られない曲刀があった。
しかし、何よりも目に付くのが、その瞳だった。いつでも人を殺し兼ねない紅く残忍な色をしている。獅子の血が騒ぐが、もし戦えば例え魔剣“エクリクシス”を持ってして、やっと互角に渡り合えるだろうというくらいの強さを感じる。
アルベルトは彼にジュノーン以上の恐怖を感じたという。
軍才も並のものではない。リチャードは今の戦法を採用したが、彼は他にもっと残酷な手段を提案した。それこそジュノーンが予想した様な策だった。しかし、獅子の誇りがその様な卑劣な策を許さない。だからこそ彼は正攻法を選んだ。
「アッラシードよ、お前は奴がどう出ると見ているのだ?」
アッラシード…それは彼が名乗った名だった。リーベリアには無い名だ。明らかに妖しい。
それでもリチャードは彼を採用した。正体よりも才を重んじたのだ。
「何らかの策を練っているのでしょうが、この包囲陣は抜け出せぬでしょう」
「普通の奴ならな…」
並の天才なら、不可能なはずだった。しかし、兵法しか知らぬリチャードや、高い学力を持たぬアッラシードには予想できない策をジュノーンは用意していた…。