夜明け前、ジュノーンが散歩をしていると、一人の青年が薄闇の中から浮かび上がってきた。
カナンの次期国王・セネトだった。
セネトにとってジュノーンは仲間でもあり、恋敵でもある。先日もそれが原因で、彼と揉めた。
それからセネトとは話すらしていなかったのだが、先日の戦に急に指揮を引き受けてくれると言ったのでジュノーンも驚いていたのである。
しかし、やはり直接話はしていなかった。
「おはよう」
「…おはよう」
それから言葉が続かなくなる。
気まずい空気を感じながらもジュノーンは次の言葉を詮索した。
先に口を開いたのはセネトだった。
「……この前はすまなかった。君も、僕に気遣って何も言ってこなかったんだろ?」
「………」
「考え事をしてたんだ。でも、それに対して解決策が見つからなくてさ…」
サーシャの事か。
ジュノーンは心が痛んだ。もし自分が逆の立場ならどうしただろう。
こんなにもサーシャが好きなのに、彼女は別の男が好きだったら…やはり自分もセネトの様に感情を制御できなくなるのかもしれない。
「それで、半分八つ当たりみたいな形になってしまった。本当に悪いと思ってる」
王である彼が頭を下げていた。
力になってやれない自分が腹立たしかった。
彼の為にジュノーンにできる事はない。そして、もしあったとしてもそれは彼に対する侮辱でしかない。
「…別にいいさ。掠っただけだし…まぁ、もし殴られてたら挽き肉にしてたけどな」
笑ってセネトの胸を小突いた。彼の顔にも笑みが広がっていった。
「君にか?できるものならやってみせてくれよ」
「…言うじゃないか」
「今度は外してやらないぞ」
「バカ。俺が避けたんだよ」
同時に二人は噴き出した。二人はひとしきり笑い合った後、少しの沈黙が訪れた。そして、セネトは鋭い表情をジュノーンに向ける。
「一つ聞かせてくれ。君は簡単に勝てる方法があるのに、何故それを使わないんだ?」
カナンの王子セネトは、ジュノーンを射る様にして見つめていた。
「君はまだ本気を出していない。君さえ本気になれば、こんな所簡単に脱出できるはずだ。いや、敵を全滅させれる」
「………」
「確かに君の将才はすごい。けど、君の底は…まだ沈潜している」
「……それはしたくないんだ」
魔神の力を使えば、確かに脱出は簡単だ。しかし、同時にそれは戦いではなく唯の殺戮になってしまう。
剣で一刺し二刺ししたくらいでは死なない屈強な体を持つ魔神を一瞬で焼け焦げさせる力を持つ闇魔神…やはりその能力を全快させるのは気が引けた。
前のジュノーンなら、きっと使っていたに違いない。周りのリーヴェやマールの兵など焼き払ってとっとと脱出していた。
しかし、今の彼にはそれができなくなっていた。彼の中で戦闘は『闘いたい』ではなく『戦わなくてはならない』に変わっていたのだ。
無駄な殺戮を好む“黒き死仮面”はもういない。
「それが苦難の道を進むとしてもかい?」
「…ああ」
「じゃあ、彼女の前では絶対それを維持しろ。彼女は“鬼神”としての君を一度も見た事が無いんだから」
「お前…っ」
彼女とは、勿論サーシャの事だ。
確かにサーシャの前では人を虫けらの様に殺戮する様なところは見せていなかった。あくまでも『大切な人々を守る為の戦い』だった。
セネーの会戦時やロビンの小隊を助けた時の彼を見ていたら、彼女はジュノーンの見方を変えていたかもしれない。
しかし、それ以上に驚いたのは、セネトがそれに気付き忠告した事だった。セネトの方がサーシャの事を考え、理解しているのではないか。
ジュノーンはこれ以上無い嫉妬を感じた。自分の方が優位な立場に立っていながら…。
「今日が脱出の日かい?」
セネトが気遣ったのか、話題を変えた。
「ああ…まだ伝わってなかったのか。大体の奴には言ったつもりだったんだけど」
「そうか。君が何をしでかすのか、楽しみにしてるよ」
カナンの王子はそう言い終えると、来た道を戻り始めた。
そのすぐ後、ジュノーンは奇策に向けて動き始め、今日の決戦の為に兵をまとめていた。
「南側の守っている奴等を北に集め、突出する準備をさせろ」
そうジュノーンは下し、自身は昨夜出来上がった塔に登り始めた。南の城壁にはサーシャが見張り、周辺を見据えた。最後まで残り、南の守備は怠っていないという事を感じ取らせる為だ。
ジュノーンとしては危険が伴うのでサーシャ以外の誰かにやってもらいたかったのだが、彼女がどうしてもと言うので任せる事にしたのだ。
レシエは城を出て竜騎士団が控えている所に向かい、ラフィン達は突出の準備を始めていた。
決戦は目前にまで迫っていた…。
「わからぬ…」
リチャードは南門近くの高い櫓の方を見ると、不満げに呟いた。その上にジュノーンが立っているとの報告がさっき入っていた。
「アッラシードよ、あれは何を意味する?」
常に横にいる謎の傭兵に問いた。彼も難しい顔をして、思考に迷っていた。
「単なる脅しや時間稼ぎとは考え難い…しかし、時間を稼いでも仕方ない」
「うむ。だが、俺達がそう考え込むのを狙っての奴の奇策なのかもしれぬ。厄介な事だが、ここはあんなものに惑わされずに正攻をもって攻略を目指すべきだと俺は思っている。奇策などが通じる程、獅子は甘くはない」
「それがいいだろう。陛下の御心のままにやればいい」
しかし、リチャードの心は晴れなかった。何かが引っ掛かる。その獅子の魂が何かを感じていたのだ。
ジュノーンは塔の上に立つと、中央の壇に魔剣とともに祈りを捧げ、火を燈していた。
このような寄行は当然、策の為の演出だ。
櫓を組んでの不気味な雰囲気…数多く戦をしてきたリチャードでも、これは始めてだった。
セネー海岸の城を包囲するマール・リーヴェ軍の更に外側に、二千人ほどの兵の集団があった。
その中にはジュノーンの戦友である“戦乙女”であるレシエと天馬騎士団隊長のヴェーヌの姿が見受けられた。
先のエリアルでの戦いで勝った竜騎士団と天馬騎士団を纏め、レシエはセネーの北に待機させていたのだ。そしてその動きは、ジュノーンの考えに従ったものだ。アフリードが計算を終えた後、ジュノーンはレシエに計画の全てを伝えたのだった。
「でも、いくらジュノーン君の言う事でも、ちょっと信じられませんね。そんな事が起こるとは考え辛いです」
ヴェーヌは横のソフィア公女に自分の意見を述べた。
「起こるかもしれないじゃない。いえ…彼が言うのだから、きっと起こるのよ」
レシエは少し不機嫌そうに答えた。彼女自身いまいち信じていなかったのだが、信じるしかなかった。
レシエは遠眼鏡で城の方角を観察しながら、じっとジュノーンの合図を待った。
(…奇策、ね。本当は、ジュノーンはそうゆうのは好きじゃないのよ)
相手が何人いようが正々堂々との真っ向勝負。それが彼の生き方のはずだ。しかし、仲間の命を思うとそれができないのだろう。
(私にもう少しの力があれば…)
レシエはジュノーンの苦労を思い、彼一人に重荷を背負わせようとする世界に対して、憎しみを抱いた。
「何か妙だ」
“リーヴェの義賊”ロビンが北門から太陽を見上げた。野性の勘で、ロビンは降り注ぐ光に奇妙な感覚を覚えたのだった。しかし、彼にしてもこの天から読み取れるのはそこまでだった。
神に遠く、人間的なロビンには勘で未来を見抜く以外に方法はなかった。
「セルビア。お前は感じねえか、空のこの、何か冷たい雰囲気を」
「ええ…何となくですが。ジュノーンの放った妖気以外にも、何か感じます」
「さすが元暗殺者だな。やれやれ、俺に奴を盟友とする資格があるのか妖しくなってきたぜ」
ロビンは苦笑すると、視線を地面に移した。
わからないのならば、すぐに思考を転換する。その潔さが、彼の才能と魅力の源でもあった。
午前十時、ジュノーンは塔の上で突然魔剣を抜き放ち、その剣先に手を当てた。すると、黒く不気味な炎の様なものが“魂喰い”の刃部分をゆらゆらと覆った。
そして気合の声を放つと、辺り一体に黒い妖気が広がり、刃部分の黒き炎が球となって太陽へと向かっていた。
城の傭兵は、すでに皆北門に集まっている。
「何をやってなさるんだ…?」
彼の呪術的な行為を見た傭兵達は首を傾げ、しかし彼の放った妖気に身を震わせていた。
「…やっと時がきたのね」
ジュノーンの行為を見て、サーシャは彼の意図を理解した。南門に残ると決まった時に、彼女もジュノーンから作戦の全容を聞いていたのだ。
残っている傭兵に声をかけながら、彼女は南を捨てる。
そして南の城壁から飛び降り、サーシャは北門に向かって天馬を翔けさせたのだった。
ジュノーンの合図を確認したレシエは声を張り上げ、兵に号令した。
「これからジュノーンが天に異変を起こします!!私達はそれに乗じて敵に突撃するのです!!」
兵士達の間に緊張が走った。しかし、彼等は半信半疑の表情でもあった。
「突撃!!」
号令とともに、レシエは先頭を切って騎竜を翔った。
彼に続き、約二千の竜と天馬の軍団が、五万の敵に挑戦を始めた。
ジュノーンが妖気を放った報告を受けたリチャード獅子王子は、しかしそれに対してあまり興味を持たなかった。
ただ、再び空の太陽を見上げ、彼はそのまま動かなかった。アッラシードも彼の視線を追い、空を見る。
「………お前も感じるか」
謎の傭兵は獅子の問いに頷き答えた。あのロビンが感じた違和感に、彼等も気付いたのだ。
「何かが起こる…」
周りの喧騒など気にせず、暫く二人は空を見上げたまま動かなかった。
それから数分後、二人は北門へと駆け出した。
「なっ…!!」
「…陛下、この戦は我々の負けの様だな」
天変を前にして最も反応が早かったのは、やはり彼等だった。
リチャードが動き出す直前、塔の上においてもジュノーンが彼と同じ姿勢で空を見ていた。
焦りの感情が浮く。
(まだか…!!)
ジュノーンはふと塔の下方に目をやった。先程南門を出たサーシャが駆け込んできたのだ。彼女はジュノーンを信頼しきった瞳で見上げると、次に太陽を指して傭兵達に叫びかけた。
「いいですか!!これからジュノーンが天変を起こします!!しかし、恐れる事はありません。私達はそれに乗じて北門から突撃します!!もう一度繰り返します!!これから、かの英雄・ジュノーンが天を動かします!!空を見て動きなさい!!でも恐れてはなりません!!」
サーシャの澄んだ美しい声は風に乗り、天の歌のように兵士のこころにまで響き渡る。そしてそれはジュノーンをも勇気づけるのだった。
彼女のあんな凛々しい姿を見るのは初めての気がする。さすが王女として育ってきたと言えようか。使い分けがきっちりできている。
(いや、違うな。二回目だ)
前は、そう…ジュノーンが彼女に一目惚れをした、ウエルトで彼女が演説していた時だ。
演説などそっち除けでジュノーンはサーシャの姿を見入り、天使と出会えたかの様な高揚を覚えたのだった。
追憶を消し去り、ジュノーンは再び空を見上げた。
(来たか!!)
その時ジュノーンは確かに見た。
太陽の異変を…。