ジュノーンの帰還命令を聞いた時、本を床に叩きつける事でアフリードは怒りを示した。
最も彼らしくない行為である。
その音に隣の部屋にいたエリシャが何事かと駆け付けてきた。
「ちょっと、どうしたっていうの!?」
エリシャの問いにも答えず、アフリードは絶望の言葉を語った。
「終わりだ…全て悪魔のシナリオ通りになった。リーベリア傭兵軍は解散され、ジュノーンはウエルトにいられなくなる…」
あの悪魔の事だ。使者に間謀者も同行させ、ウエルトに流言させたに違いない。いや、流言という言葉は相応しくないかもしれない。ジュノーンが原因でこの戦が始まった事は、紛れも無い事実なのだから。
人々は彼の恩を忘れ、掌を返すだろう。人間とはそういった生き物だ。彼自身には罪は無いので実刑は免れるが、元々心に傷を持つ人間だ。人々に蔑まれる環境に耐えれるとは思えない。サーシャと結ばれる事も不可能となろう。そうなれば、彼がウエルトに留まる理由等ない。
彼は自らの命を削って手に入れた名誉を全て失うのだ。
(それは私のせいだ!!私が余計な事をしなければこんな事は起こらなかった!!)
才に溢れる彼の事だ。わざわざ凝った小細工等使わなくても、自力で覇王への道を歩んだかもしれない。いや、世が彼を必要としただろう。
(未来ある若者を殺したのはこの私自身なのだ!!)
もはやどうしようもない。リチャードが復活した時点でこうなる事は予想出来たが、やはりどこかでこうはならないと希望があったのだ。その希望が知らぬ間に予測となっていた。失態である。
(義父上の言う通りだった…私は政治に参加すべきではなかったのだ)
絶望と怒りの渦に巻き込まれ、身動きすら取れない状況だった。
「ちょっと、一人で怒ったり沈んだりしてないで理由を話しなさいよ!!」
エリシャの語気が荒くなってきたが、彼の耳には入っていなかった。
(ならば、私にできる事をするまでだ。何としてでもレシエを治療する術を探し出し、全ての知識を使って西の大陸で編成された魔神の軍に対抗する策を作り出す…それが私にできる精一杯の償いだ)
アフリードは静かなる、そして何よりも堅い決意を誓約した。
月が蒼く輝いていた。この現象は珍しい事で、不可能な事を『蒼月』という言葉で表す程である。
それをジュノーンに話した時、彼は感心して褒めてくれた。
嬉しかった。
しかし、せっかく不可能が可能となったのにそれを二人で見る事ができないとは、何か皮肉なものを感じた。
「ジュノーン…」
彼の名を呟くのは何度目だろうか。彼の事を考えている時、無意識に呟いてしまってるらしい。無意識に呟いているのだから、正確な数など解りやしない。そして、その名に繋がる言葉はいつも同じだ。
「会いたいよ…」
まだ彼がオークスを発ってから二日しか経っていない。しかしサーシャには無限の時にも思えてくるのだった。
何より、不安だった。
彼の最後に見た、あの何かを悟った様な微笑み…ああ言った表情をする時は大抵何かを隠している。それも、とても重大な事を。
傭兵達も皆不安そうだ。
(ちょっと散歩でもしてこようかな…)
サーシャは窓を閉めてから立ち上がり、ベッドに横たわるレシエを見やった。蒼白とした表情のまま眠り続けている。
死んでいるのではないか、と思ってしまう程だ。さっきまで治療魔法を掛けていたのだが、全く効果が見られない。おそらく先代“光の王女”なら治す事も可能なのだろうが、どうやるのかすら解らない。
もっと力があったら…
「よう、変わりはないかい?」
「きゃっ」
いきなり話し掛けられて、少し飛び上がってしまった。
「おっと、悪いね。愛しの彼の事を考えながら空想に浸っている最中に」
ロビンだった。こんな事を言うのは彼しかいない。
こんな時にもからかおうとしてくる彼を恨めしそうに見上げた。
「じょ、冗談だろが。それより、姫さんはもう休みな。今日ずっとここにいて、メシもろくに食ってねえだろ?」
何だかんだ言いつつ周りに目が行き届いているのが更に腹が経つ。
サーシャは彼の言葉に従って席を立った。一緒に居てもまたからかわれるだけなのだ。
「あっ」
「どうしたい?」
サーシャはふと思い出した様に立ち止まった。
「レシエさんに変な事したら許さないから」
「するかっ」
「ロビンほど信用できない人っていないもの。これでもしレシエさんに何かあったらどうしよう…」
小さな顎を摘み、真剣に悩んでいる素ぶりを見せる。
「ああもうっ、解ったよ!!代わりに他の奴連れてくりゃいいんだろ!?」
「うん、そゆ事♪」
いつもいじめられている仕返しをしてやり、少し気分よく部屋を後にした。彼は彼なりに気を遣ってくれていたのだろう。サーシャは目一杯それに甘えてやったのだ。
(ジュノーン、どうしてるのかな?)
蒼い月は、何も教えてくれなかった。
その彼女の想い人は、罵声の中にいた。全てジュノーンに対するものだった。
戦の原因はお前にある、お前こそが魔神だろう、ウエルトの恥め、等々今まで彼がやってきた功績を全く忘れてしまったかの様な言葉が空を舞っていた。元々、彼に好意を寄せている貴族など皆無に等しい。
「リーベリア傭兵軍の将軍職の解任を命ずる。自室にて謹慎せよ」
ロファールは苦渋の決断を下した。表情こそ平然としているが、内面ではアフリードの気持ちと全く同じだろう。
「謹慎?甘すぎやしませんか。ソラの民の命の代償としては」
「そうだそうだ!」
一人が放った言葉に、周りから同意の声が上がる。
「静粛にせよ!確かにジュノーンが戦の根源ではあるかもしれぬが、彼が直接危害を加えたワケではあるまい」
宰相・マーロンが制止の声をかけるが、対した効力は持たなかった。
そのジュノーンはと言うと、ロファール王と視線のみで会話を交わしていた。
(勝機はあるのですか?)
(…わからん。お前が居なくなると戦況が一辺する故な。おそらくあの猛者達を指揮できる者もいないだろう)
(そうですか…)
ジュノーンは絶望的だった。今まで自分がやってきた事は何だったのか、自分の存在意義すらわからなくなった。
(結局、こうなのか)
築いてきた信頼は、もはや無い。せっかく手に入れた居場所も無くなる。
どこからおかしくなった?つい数ヵ月前まで平和に暮らしていたんじゃなかったのか。何が原因なんだ?俺は何もしていない。リーベリアの皇帝がどうのとか全く考えた事はなかった。ただ、日々を楽しく幸せに生きたかった。それなのに、気がつけば周りが変わっていた。ソラの壊滅、戦の開始、対魔神用の軍の編成、ただ命令に従って戦って死んだマールの兵士達と傭兵軍、そしてレシエも……。数多の死、数多の憎しみと悲しみを生んだ。平和な世の中だったにも関わらず、だ。ガーゼルが支配していた頃の様に。
何が原因なんだ?どうして俺がこんなにも苦しんでるんだ?
(何が原因、だと…?)
原因など、一つしかない。愚かな獅子の嫉妬が、この災を呼び起こしたのだ。
「どうした?さっさと退出しろ」
呆然と立ち尽くしていたジュノーンに一人の貴族が歩み寄り、見下した笑みを浮かべていた。
ジュノーンに表情は無かった。ただ、虚な青灰色の瞳だけがあった。だから、その貴族も全く気付かなかったのだ。ジュノーンの剣が、己の体を貫いている事に。
静かなる沈黙の後に、断末魔が上がった。
「な、何という事を!!ジュノーン、自分が一体何をしているか解っておるのか!?」
マーロンが怒気を放ち叫んだが、ジュノーンは何も答えない。剣先に着いた血を舐めただけだった。相変わらず、表情は無い。
ロファールも、ただ唖然としている。最も起こり得ない事が、今起こっているのだ。
先程まで罵声は恐怖と狼狽の声に変わっていた。
彼の強さを忘れていたワケではない。ただ、誰もこういう事態に成うる事を考えていなかったのだ。
ジュノーンはゆっくりと扉の方へ向かった。その前に、ノートンとライネルが立ちはだかる。
「てめぇ、どうゆうつもりだよ」
「どけよ」
「行かせられねえ。このままじゃお前が反乱者になっちまう…」
「ノートンも俺も、お前をそんな裏切り者みたいにしたくねぇんだよ。罪を認めたなら、陛下が対応してくれる」
「裏切り?…裏切ったのはどっちだろうな」
虚な瞳が、逆に恐怖を煽る。
「そ、それは…」
「いいからどけよ。今の俺に情けがあると思うな」
言うとジュノーンは、“魂喰い”に付着した血を振り払った。
ライネルとノートンは、同時に唾を飲んだ。
戦えば、殺される。
練習でジュノーンが手を抜いても彼等では全く及ばなかったのだ。その実力差に真の殺気が加わればどうなるだろうか。ライネル達は彼の強さは知っているが、彼と戦う者の恐怖は今まで知らなかった。
「く、くそったれが!やってやるぜ!」
死を覚悟して、ライネルは槍を、ノートンは剣を構えた。それに続く様に、今まで怯えていた衛兵達も武器を構えた。
(所詮、こんなものか)
ジュノーンは自嘲的な笑みを浮かべた。結局は友情も国の前ではこうなるのだ。
サーシャはどうなのだろう?彼女もやはり国を選ぶのだろうか。
(もう、どうでもいいか…そんな事。全てがどうでもいい)
まさに謁見の間が死の間となろうとした時、ロファールの声が静かに響いた。
「もう良い、ライネル。行かせてやれ」
「しかし、陛下…」
「西の大陸との戦の為にも無駄に命を落としてはならん。仮に、ウエルト全軍を率いてもジュノーンを倒せんだろう」
ライネルは武器を降ろす様部下達に命じた。内心、そう指示してくれるのを祈っていた自分がいるのも事実だ。
ジュノーンはそのまま、何も言わずに謁見の間を出た。それは同時に、彼がウエルトから出た事を意味していた。
漆黒の聖将にして数々の危機を救った英雄は、消えたのだ。