王都を一組の男女が手を繋いで、仲睦まじく歩いていた。
今回の戦でも活躍していたエステルとラフィンだ。二人は慣れない様子で手をそっと握っている。
ラフィンは昨夜の決戦で“魔剣の亡霊”アッラシードの剣により貫かれたが、サーシャの神聖魔法により傷は癒されて翌朝になると無事目を覚ました。
傷の痛みも無いので、彼は義妹であり恋人でもあるエステルと王都を散歩する事にしたのだ。
ラフィンが王都を歩くのは随分と久しぶりで、最後にこの町を歩いたのはリュナン公子達と共にウエルトを発った時まで遡る。
彼は邪神戦争以来母国のバージェ復興に力を入れていたが、それも終わりに近づいてきたのでウエルトで再び暮らす事にしたのだ。
ロファール王と義父のマーロン伯にエステルとの事を伝えると大変驚いていたが、反対はされなかった。
エステルの積年の夢はようやく叶ったのだった。
式はできるだけ早いうちに済ませたい、とエステルは父に申し立てたが、気が早過ぎると叱られた。エステルとしてはジュノーンとサーシャが帰ってくるまでに式を済ませたいと思っている。時期が重なっては自分達の扱いが小さくなる事を恐れているのだ。
エステルは今夜にも再び父を説得するつもりで、義父と同様まだ早いと思っているラフィンは苦笑するしかなかった。例え反対しても無駄なのは解っている。
おそらく今年中には話しがつきそうだと彼は予想していた。
「サーシャ様、ジュノーンに会えるかな?」
エステルはふと北西の方を向いて、ラフィンに話し掛けた。
「会えるに決まっている。運命というものは、切ろうと思っても切れぬものだ。もっとも、それを教えてくれたのもジュノーン殿だがな」
ラフィンも同じ方角を見て答える。
「そうね…どれだけ離れていても、お互いの強い想いがあれば必ず結ばれるわ。私達が再会して結ばれたように」
「ああ。ジュノーン殿には感謝し尽くしてもまだ足りない」
彼がいなければ、ラフィン達が巡り会う事もなかった。下手をすると、お互いに相手の想いを知らぬまま生涯を終える事にもなりかねなかったのだ。
「私もよ。ユトナに祈りましょう…彼等が無事再会できる事を」
エステルはラフィンの手を離し、祈る仕草をする。
ラフィンも同じよいに祈った。
自分達の結び役となってくれた、不幸の名の元に生まれたジュノーンの幸せを…。
ソラの町では順調に復興が進んでいた。マール軍襲来の御蔭で住民の大半が死んでしまったが、ヴェルジュやグラム、そして遥々トーラスや王都からまで手伝いにきてくれる人が沢山いたのだ。
ライネル、ルカ、ナロン、ノートンのソラ復興を任された四人は、それ等の人々に感謝しながら仕事を進めていった。
「この中でどれくらいの人がジュノーンさんを支持してるんでしょうね…?」
町の復興をしている人達を眺め見て、ナロンは呟いた。
ノートンは黙々と木材に釘を打ち付けている。ジュノーン反乱以来、ノートンの口数は少なくなった。止めてやれなかった自分の力不足を怨んでいるのかもしれない。
しかし、それは他の三人とて同じだった。今更悔やんでいても仕方ないと彼は思っている。
「僕は警備兵だから町の人の意見をよく聞きますけど、ジュノーンの評判は決して悪くなってないですよ」
誰も話そうとしないので、ルカが切り出した。
そう、ジュノーンは思った程悪者になっていないのだった。なぜなら民衆の中でも彼は絶大の人気を誇っていたし、反逆したと言っても貴族を一人斬っただけだ。
また斬られた貴族も町の人々に相当嫌われていたので、ジュノーンの行動に賛成している人も少なくない。
それどころか、何故ジュノーンにそうした待遇をしたのかと王宮に抗議する人も結構いた。
「ウエルトの民もバカじゃねーって事だな」
ライネルもその事は嬉しかった。
例えジュノーンが迷惑な貴族を一人斬ろうが、彼が今迄やってきた功績まで消えるわけではない。
ウエルト解放で彼が裏で活躍していた事も知らぬ間に広がっているし、破壊竜を手懐けた英雄性も知っている。魔神がソラの町を襲来した時だって彼が誰よりも働いていた。マールとの戦いの彼の功績も知らされている。
結局のところ、ジュノーンを忌み嫌っているのは自分の権力と地位に固執した貴族だけなのだ。
ジュノーンは今迄の努力が泡の様に消えたと思っているようだが、人の誠意や人徳というものが解らない程ウエルトの民は愚かではなかった。
町の人の仕事をよく手伝っていた。町の意見を聞いて回り、そして国王に進言していた。
そして彼は誰よりも神々しく、また人間らしい事を皆解っていたのだ。そんな彼だからこそ誰からも親しまれ、内心では尊敬される。
サーシャ王女とも仲睦まじい事から次期国王はジュノーンとなり、ウエルトも安泰だと民は思っている。
それは今も変わらない。
もっとも、それは貴族が流そうとした流言をこのライネル達が影ながら止めていたからでもある。
自分達にできる事を考えてみても、それが精一杯だった。今も王都では、貴族達が不穏な動きを見せないか兵士達が目を光らせている。
「アイツは帰ってくるかな…?」
ノートンがふと海の彼方を眺めて呟いた。
「…きっと帰ってきますよ。サーシャ様が連れ戻してくれます」
ナロンは言ってからちらっとルカの方を見て怒ってないかを確認すると、やはり憮然としていたので、肩をすくめた。
「まぁ、ルカもそろそろ諦めろって。恋敵がアイツじゃ勝てねーよ」
ライネルが諭す様にルカの肩を軽く叩く。
ルカは溜息を吐いて空虚を眺めた。
ノートンはやれやれと言った表情で作業に戻っている。
「…解ってますよ、それくらい」
ルカはぽそっと漏らした。
実際のところ、ルカは大分前からもう無理だと思っていた。相手は英雄、自分は一介の兵士…とてもじゃないが勝てない。
そして原因はそれだけではない。自分が何もアプローチしなかったのもいけないのだ。サーシャはルカが自分に好意を寄せているなど、微塵も思っていない。
想っているだけでは伝わないという事を、彼は学んだ。次に恋をした時は絶対に告白するぞ、と心に決めた。
「そういえば、レシエ公女はどうした?サーシャ様と一緒に行ったのか?」
ライネルがふと思い出した様に言った。
「いえ、レシエ公女はセネト王子と今朝方にマルス港からグラナダへ向かいました。帰国するつもりみたいですね」
ナロンが先ほど入手した情報を話した。
今、ウエルトへ来る商船などはマルス港に停まっている。とてもではないが、ソラの町はまだ使える状態ではない。
「…って事は、三角関係はもう終わったかのか?」
「でしょうね。何があったかは知りませんけど、ジュノーンさんはサーシャ様を選んだみたいです。或はレシエ公女が諦めたか…」
「ほー…ま、贅沢な選択肢だわな」
全くです、とナロン。
しかし、本人がそれで良いと思っているのならばそれでも構わないと思う。
自分で考え、自分で後悔の無いよう決断する事が何よりも大事なのだ。
その場に流されて三角関係を続けるより余程良い。
例え、それが誰かを傷つけるとしても。
「さてさて、ウエルトはどうなってくんだかな…」
ジュノーンはリーベリアを去り、アフリードもウエルトを去る。
この一年は彼等を中心としてウエルトは動いていたので、どうなるかは想像もできない。
「ウエルトの未来を心配するなら、まずソラを復興させるとこから。ここはウエルトの玄関なのだから…」
ルカの言葉に一同は頷き、再び作業へと戻った。
ジュノーンが戻ってくる時までには、見違えるように繁栄したウエルトにしてやると内心誓いながら…。
「酷いわね…」
エリシャがマールに帰ってきて言った第一声がそれだった。
城門は消し飛び、ジュノーンが歩んだ道則を追うように死体や壊れた木馬等が転がっている。石畳の道は壊れ、壁には血痕も沢山残っている。全てが雨に流れているわけではない。
マール騎士団は壊滅状態、町も中央通りは半壊…彼等が戦った中庭など庭と呼べるものではなかった。庭師はさぞ嘆いているだろう。まるでドラゴンが来て暴れた様だ、と率直な感想を漏らした。
たった一人の人間にここまでされては、さすがのリチャードも立ち直るのは難しいかもしれない。
エリシャは昨夜の戦いが終わった後、皆でジュノーンを捜しにマールへ来た時にそのまま残ったのだった。というより、一応はマールの宮廷魔術師であるので、この町の有様を見るととてもではないがウエルトがどうのと言ってられないのだった。
しかし、町人はジュノーンを神と讃えていた。
自国の騎士が、自国の王がやられてもそれは関係無いらしい。
その原因は今も尚降り続けるこの雨のせいだろう、とエリシャは思った。
ここ暫くは凶作続きで、加えてあの軍事費と兵糧だ。今迄貯めたものだど空になっていてもおかしくない。
しかし、この雨により幾分かは救われるだろう。飢饉になる事は無い。
破壊の神の涙…この雨はそう呼ばれている。
マール宮廷魔術師は呆然としている兵士達を叱咤し、町と城壁の修築を急がした。いくら戦争が終わったとは言え、あの“魔剣の亡霊”が復活して攻め込んでこないとは限らない。放心状態になっている時ではないのだ。
まだ夜明け前だが、エリシャは兵士や町人に指示しながら王宮へと向かった。
戦いの痕が色濃く残るが、彼女は気にせず王室へと向かった。
扉を開けてまると、魔剣を地面に放り出したまま放心しているリチャードの姿があった。ティーエが必死に声をかけているが、上の空と言った様子だ。
これ程凹んでいるリチャードを過去に見た事が無く、エリシャは苦い笑いを漏らすしかなかった。
つかつかと歩み寄り、パシッとリチャードの頭を叩く。国王に対してあまりに無礼な態度ではあるが、彼女は気にしなかった。
しかしリチャードは怒る所か、ちらっと見ただけで再び黙り込んでしまった。
「ちょっと、アンタねぇ…しっかりしなさいよ」
叱り倒してやりたい気分だが、今は無駄だと判断した。
すると、ようやく彼は口を開く。
「俺は…一体何の為にこんな忌々しい剣を抜いてきたのだろうな」
地面に横たわる魔剣を横目で見た。
「ジュノーンの言う通り、俺は奴を妬んでいた。そしてその妬みがリーベリアに戦乱を生み、数多の死を生んでしまった…全て俺の責任だ」
「リチャード…」
ティーエが彼の手を握るが、彼は何も反応を示さなかった。
そんなリチャードに対し、エリシャは冷たく言い放った。
「ええ、アンタのせいね。おかげでマールもウエルトもメチャクチャよ」
ティーエがエリシャの言い方に対して抗議しようとしたが、彼女は手でそれを制して続けた。
「でも、それは仕方ないわ。あなたは人間なの…完璧ではないし、失敗もするわ。だから、大切なのはこれから先にどうするか、よ。失敗はしても構わない…大事なのは、それを繰り返さない事」
「………」
「幸にも、町の人達はあなたを“最後まで勇敢に神と戦った王”と言ってくれてる。あなたの支持率が大幅に落ちてるわけじゃないし、私やティーエも力になるわ」
「そうよ、リチャード。もう一度やり直しましょう。あなたならきっとできるから」
リチャードは力無く鼻で笑って答えた。
「神と戦った王、か…」
それはいかに自分と彼に差があったのを示す言葉だ。
当然かもしれない、と思う。
例えばジュノーンと百回戦えば、百回とも殺されるだろう。
奴には絶対に勝てない。リチャードは剣を交えてそれを痛感した。
絶対…それは則ち神だ。
「俺はカーリュオンにはなれんようだな…」
リチャードは言いながら、魔剣を拾い上げ鞘に納めた。
「今回の戦いでわかった事がある」
二人の女性を交互に見て続けた。
「リーベリアに統一は必要無い。力で統一しようとも、それはすぐに滅びてしまう。過去に幾度となくそうして滅びた国はあった。俺は…また同じ過ちを犯すところだったな」
「そうね…」
気付いて良かったじゃない、とエリシャは思った。
この男も頑固故、どうやってそれを理解させようか迷っていたが、どうやらその必要も無いらしい。
「リーベリアを統一させるのではなく、均等を守った平和な連合国家にしよう。あの邪神戦争が終わった後のようにな…俺は気に喰わんが、リーベリアがそれを望むならば仕方がない」
アフリードの理想とジュノーンの不幸などを考えると、エリシャも同じ結論に至っていた。
マールもウエルトも、共に決して良い状態ではない。今回の戦争のせいで各国への印象は相当悪いだろう。
しかし、それを何とかするのが宮廷魔術師の仕事であり、また父の為でもある事を彼女は知っていた。
父・アフリードはよもや政治界には足を踏み入れまい。彼の傷は深まり、これからは会う事も少なくなるだろう。しかし、父とは違った形ではあるが、エリシャは自分が望む平和を追い掛けようと思う。
幸にもリチャードは自分と同じ理想を持っていた。今の彼ならばマールは再び栄えるまで五年とかからないはずだ。
これからは今迄と違い、更に多くを学び、実践していかねばならない。
やるべき事は沢山ある。
自然と彼女の拳に力が入った。
「おい、ティーエ」
ドアノブを掴んで背を向けたまま、リチャードが呼びかけた。
ティーエは、はい、と返事してそちらに目をやる。
「町の復興が進んだら、式を上げるぞ。いつまでもレダの王女でいてられては、俺も面目が立たんのでな」
「リチャード…!?」
照れを隠すように、彼女の声に答えずドアを閉めた。
「エリシャ…私は国がこんなになっているのに、これ程までに歓喜を感じてしまって良いのでしょうか?」
みるみるうちに瞳が潤んでいく。
元来、この二人はもっと早く結婚するはずだった。しかし、時期がちょうど破壊竜戦争と重なって式が流れ、それからはリチャードが対ジュノーンに燃えてしまってそれどころではなくなってしまったのだ。ティーエにしてみれば辛い時だったに違いない。
ようやく、この二人にも幸せが訪れるようだ。
「…良いんじゃない?未来に希望や楽しみがあれば、辛い今も頑張れるわよ」
ウィンクして言ってあげると、ティーエは姉の様に慕うエリシャに抱きつき喜びを表した。
どうせ抱きつくならリチャードにすれば良いものを、と銀髪の魔導師は思ったが、よしよしと髪を撫でてやる。
ふと窓の外を見ると、セネー海岸から北西の空へ向かって飛び立つ竜がほんの一瞬見えた。
遠く、またとても速かったのであれがジュノーンを乗せた破壊竜だとは確証を無いが、確信はあった。
(やっぱり西へ行くのね…?)
今はもう見えない空の影に向かって、心の中で話し掛けた。
(さよなら…は、やめておきましょうか)
エリシャは言いかけた言葉を訂正する。その言葉は嫌いだった。
(行ってらっしゃい、ジュノーン君。また会える日を楽しみにしてるわ)
北西に消えた影に向かって、微笑みかける。
きっとサーシャも彼を追い掛けるつもりだろう。胸の中でユトナの名を唱え、二人の再会と幸せを祈った。
昼前にマルス港から出港して海の人となったレシエは、セネトと並んで船べりに立っていた。そこは綱が張られているだけだが、海は穏やかで船は殆ど揺れていない。
離れていくウエルト大陸をぼんやり眺めていた。
潮を含む風が、気持ちよく西から東に吹いていた。
順風である。
「やれやれ、長い月日だったな。どれだけカナンに帰ってないかも忘れてしまったよ」
「私も…」
本来の目的はウエルト観光だった。数週間程度しか滞在する予定は無かったのだが、着いた途端に戦争に巻き込まれて結局何ヵ月も帰れないでいてしまった。セオドアやシルヴァの怒った顔が容易に想像できた。
その点、レシエはシオン将軍を信頼しているのでその心配も無かった。
「二人してウエルトまで出向いて、二人して失恋して帰ってたら仕方ないな」
セネトは苦笑して呟く。レシエも頷くしかなかった。
「やっぱり姉弟なのか、まさかこんなとこまで似なくていいのに」
「姉弟?」
一瞬考えてから、そういえば、と納得した。
レシエはアーレス第1王子の妹にして、養女だ。セネトは彼の実子なので、やはり自分は姉という事になる。しかし、同時に叔母にもなってしまうわけで、考えてみると複雑である。
「貴方は何も言わなくて良かったの?」
「セネーに篭城した時に、僕は既に気持ちを整理させたから。でも、やっぱり複雑かな」
遠い目をして、西を見つめた。
妙にいつもより口数が多いところからまだ整理がついていない事は明らかだったが、レシエは指摘せずに彼の横顔を眺めた。
「君は?」
「え?」
「君はこれで良かったのか?」
「どうかしら…でも、私はオークスで一応気持ちを伝えたから…」
「死にそうになりながらね」
セネトが余計な事を付け加えたので、レシエは途端に憮然とした表情をする。
あのまま死ぬと思ったからこそ赤裸々に告白したのに、生き残ってしまってはただ恥を曝しただけではないか。
「そういえば、どうしてレシエは生き返ったんだい?魔神はまだ倒していなかったのに」
「生き返ったって、そんな気味の悪い言い方しないでちょうだい」
それではまるで不死系の生物ではないか。
ごめんごめん、と平謝りするセネト。溜息を吐いてレシエは続けた。
「本当に、死ぬ寸前だった…闇に飲み込まれて、五感に感覚が無いの。叫んでも叫んでも、自分の声すら聞こえなくて…気が狂いそうだった」
闇と無音…それがどれほど恐怖だろう、とセネトは想像してみる事を試みたが、とてもではないができなかった。
「もう限界、楽になろうって思った時だったわ…緑色の光が闇の中に入り込んできたの」
レシエの話では、その時に槍に住まう風魔神と思われる者がレシエの意識の中に入り込み、闇から救い出したという。
そして風魔神が女性だった事に関して、セネトは少なからず驚きを覚えた。
奇跡と呼ぶべきなのか、必然と呼ぶべきなのか、レシエにもそれはわからない。
しかし、その御蔭で全員が助かったのは事実だった。
「死の淵から蘇り、敵を討つ…ウエルトでも“戦乙女”と呼ばれそうだね」
悪戯な笑みを作って言うと、レシエは呆れて再び溜息を吐いた。
しかし、もはやどうでも良かった。ウエルトに行く機会はもう無いだろうから。
「しかし、困ったな…僕等王族は、やっぱり縁談を望んでいる貴婦人の誰かと結婚した方が良いのかな?」
「そんなの私に聞かないでよ。私だって何も考えてないんだから…」
彼と出会ってから、レシエはジュノーン一筋だった。
それが終わってからの事など、考えているはずがない。
「そうだな…ゆっくり考えるとするか」
なるべく考えたくない、とレシエは思った。
この喪失感の中、それを考えられるだけの余裕など彼女には無かった。
「しかし、何とかならなかったのかな。決して縁が無かったとは思わないんだけど」
レシエは再び海原に視線を戻した。鴎が二羽並んで空を舞っていた。
「仕方ないわ…彼女達は何千年も前から、縁があったのだから」
「…どういう意味だい?」
「ジュノーンの話では、闇魔神は光の王女に好意を持っていたらしいの。でも、結局闇魔神は光の王女には何も言わず、ただ力を貸しただけだった」
というより、自分の感情が恋愛感情だと思わなかったみたいね、とレシエは言った。
「その想いが時を巡り巡って、再び彼等を出会わせたのよ」
なるほどな、とセネトは頷く。
彼等が再会し、結ばれるのは必然だという事だ。ならば、自分達等が割り込めるはずがない。
彼等は出会うべく時に出会い、そして今度こそ離れる事は無い。
「光と闇…一見真逆の関係に見えるけど、彼等は繋がってるのよ。コインの表裏のようにね」
レシエはそこまで言って、腕を上に伸ばした。
女神と破壊神…言ってみれば、彼等に釣り合うのは彼等だけなのかもしれない。神と等しい人間などいない他にいない。
「離れ離れになってしまった時、きっと過去の光の王女は後悔したでしょうね。だから、今回は絶対に彼を離さないわ。時を越えて、また同じ過ちを繰り返すのは嫌な筈だもの」
参った、とセネトは降参したように肩をすくめ、掌を空に向けていた。
そんな強い絆の中に割り込もうとしてた自分があまりにもバカらしくなったのだった。
「薄々だけど、それには気付いてたわ…だから、恐かった。できるだけジュノーンの傍にいたけど、やっぱり運命には逆らえないのね…」
セネー海岸の砦でジュノーンに再会した時、終わってしまった事がわかった。
ジュノーンがサーシャを明確に愛していたのは、端から見ていても理解できたから。いや、最初からそうだった。ただ、ジュノーン本人が気付いてなかっただけだ。
アッラシードに無謀にも挑んだのは、そういった絶望からきたのかもしれないと思っている。刺されて逆に満足していた自分がいたのも、また事実だ。
「さて、暗い話はもうやめにしよう。カナンで男前の貴族を捜して紹介してあげるよ」
セネトが冗談とも本気とも取れる言い方をして、レシエの肩を叩いた。
「何言ってるのよ。色恋沙汰はもう嫌…暫く恋はしないわ」
「それこそ何言ってるんだよ。僕が言うのも何だが、レシエは可憐で綺麗だ。勿体ないよ」
あまりに唐突な褒め言葉にレシエは吹き出してしまった。
「血族にアピールされても困るのですけれど?」
真面目に言ったにも関わらずからかわれたので、セネトは憮然として海に目をやった。そして復讐を試みる。
「あぁ、レシエには紹介する必要なんて無いか。ジュノーン達以上に縁があるロビンがいるもんね」
「…海に落としてやろうかしら。この辺りは鮫が多いらしいわよ」
「う、うわっ!冗談だよ!!僕は山育ちで泳げないからやめてくれ!!」
セネトの腕と腰のベルトを掴んで本気で落とそうとしてくるので、ささやかな復讐となる筈が結局必死に手摺りを掴んで謝る羽目となった。
お互い表情が本気なので、二人は同時に吹き出して笑ってしまった。
ひとしきり笑った後、レシエは西を見て呟いた。
「終わったわね…」
セネトも同じ方向を見て答えた。
「そうだな…終わったら、また始めなきゃな」
「…プッ、何を?」
「決まってるだろ」
「何よ?」
「だからさー…色々だよ、色々」
「何それ」
再び、互いに吹き出した。
空を飛ぶ鴎達も、そんな二人を微笑ましく眺めているのかと思うように彼等の頭上を飛んでいた。
この後、カナンとソフィアは千年王国と呼ばれるようになる。そしてその基盤を作ったのは、間違いなくこの二人だった…。
レシエの失恋を唄った詩が後世に残っている。
誰の失恋かまでは知らぬ者が多いが、恋に傷ついた者は吟遊詩人にそれを唄うよう注文する者は多い。詩の名は“竜国の悲恋”という。
『
過ぎ逝く月日を眺めつつ 遥か数多の星を見て
報われぬこの念いどうして表そうか
迫り来る暁にゆらり揺られて
幾年の風に浮かんで 遠き落日を唯偲びつつ
今宵もまた彼の人の夢 頬を染めて咲かせようか
過ぎゆく季節はおぼろげに 薫り残しては拭って芽を吹いて稔らせてまた散り逝きて
再会を待ちわびてまた散り逝く
枯れ朽ちて土に還って在りし声をまた憶い出す
叶わねど叶わねど永遠に想う…彼の人を
』