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「あーーー!!」 吹っ飛んだビンに気付いたサーシャが叫ぶも時既に遅く、それは粉々に砕けワインはすっかりこぼれてしまった。 「そんなぁ、お酒…」 へなへなと床に手をついてしまう彼女が見る前で、赤っぽい液体が床のシミになっていく。自分でまいた種である手前、文句の一つも言えない、道理であるはずだが…。 「ホームズ!! 何で離しちゃうのよ」 小さな手を振り上げて八つ当たりし始めた。 「マジかよ…そのまんまガキの行動だっての」 何となく予想通りの行動に転じてきたサーシャを、彼は相手にする気にもなれなかった。しかし、この場合こういったやり取りの常として、事情を飲み込んでいない周囲の連中は泣いてる方を弁護する物である。この場にいた何人かがホームズに非難めいた目を向けてきた。 「ホームズよ…お前は天性のトラブルメイカーに生まれたようだぜ」 「シゲン、それ以上言うな自分が惨めになる。…というわけで俺はこれで」 「きゃああああああ!!!」 今度は外からの悲鳴がホームズを妨害した。 「ああもうっ、何なんだよお次は!」 やけになったホームズが小屋の外に出てみると、風で倒れたテントの骨組みに、ゼノが下敷きにされていた。 「く…苦しいぃぃ」 骨と言っても太めの枝を数本見繕った物に違いないのだが、おもりをつけた上に丁度ゼノの首にその骨がはさまっていたため、とにかく苦しそうであった。 「いやあぁぁぁっ、ゼノ、ゼノぉ!」 しかし、この緊急事態に彼の周りには、青ざめた顔で右往左往するカトリが一人いるだけだった。 「……うろたえて大騒ぎするヒマがあったら助けろよ…って無理か…何を思ったか、シゲンの用意しやがったのは無駄に頑丈な骨してるからな…」 この緊急事態にホームズもまた和んでいた。そんな感慨を覚えている場合ではないと分かったのは、その一分後に背後で誰か泣き崩れた時であった。
「うぇぇぇぇ…折角最大のチャンスだったのに台無し…」 割れたビンのそばでひざまずいて、サーシャがボロボロ泣いていた。こうやって飲んでる気になっているのか、ワインのシミと自分の涙を重ねている。ちなみに、自分の膝からも赤い液が染み出していた。粉々になったビンの近くで膝をつけば無理もない。 そのうちに、小屋の中にいる人間には、サーシャの声にならぬ泣き声しか聞こえないようになっていた。…ただ一人例外がいたけど。 「…………ぐーーーーー…………」 武器の前で腕を組んであぐらになり、ヴェガ一人だけが完全に寝入っている。わんわん煩いばっかりの中でただ一人無心に眠れるというのは、ある意味大物らしい何かを感じるという物だが…。 「ほら、ほんのちょいと残ってるぞ」 ほっといたらいつまでも泣いているだろうサーシャの口に、見かねたシゲンはさっき自分の使っていたグラスの口を、無理矢理に押し当てた。 「あ…あっれりゃら…」 準備もなしにキツイ物を口に放り込まれて、サーシャは思わず泣きやんでしまう。と思ったら、居眠りでも始めたように頭をフラフラとさせ始めた。 「どうだ?」 答えが返ってくるわけもないのに、シゲンはサーシャに訊ねて面白がっていた。彼の態度に対して彼女も余計頭をグニャグニャさせて答えているらしい。その応答が暫く続いたのち、 「ほひはひ…あ、あれ?」 さっきまで割れたビンのそばで泣いていたと思っていたサーシャだが、いきなり来た酔いからわずかに醒めると、シゲンの顔を見上げているではないか。と言うか、何の天変地異なのかシゲンの片腕が背中に回っているのだ。 「お目覚めか? んで、どんな味だった」 まだぼんやりする頭にそう尋ねられても、サーシャには答える術がなかった。 「成る程ね…まあお前には大分早すぎたって所だな」 これを聞いた途端、サーシャは急に醒めていってしまった。そうしてギリギリの位置までシゲンに顔を近づけたのである。 「ならいつなら早くないんだ…と言いたいんだろ」 「だったらいつになれば…えっ? 何で分かったの」 この状態になったサーシャが口を開ける前にセリフを当てて見せ、図星でキョトンとする彼女に対し、顔にでかでかと書いてあるじゃねえか、と言い捨てて見せた。 「いつになるかは俺にも言えねぇ、だけどこの分じゃまだまだ先になりそうだけどな」 シゲンはそう言って笑い飛ばすだけに止めるつもりだった。あんまり心配するそぶりを見せれば泥沼になりそうだと判断したからだ。しかし、サーシャはそんなシゲンの腕を思い切りつかんで引き留めた。 「ひくっ………まで出歩いちゃいけない、大人になるまでおかしな本は読めない、大人になるまで変なところに行っちゃいけない、大人になるまでワイン飲んだらいけない…大人にならないと出来ないことが多すぎるよぅぅ……」 そうやって泣きながら吐き出すサーシャの心情は、しかし年頃の子供が一度は当たるべき壁である。そして、その多くを自らとの妥協の中で片づけていくのだが、サーシャの場合はそれが強い形となって吐露されてしまう。今までウエルトの王宮でスポイルされていたツケなのだろうか、それとも心の取っかかりを含んだために重くなったのか。少なくとも今のシゲンで分かるようなことでもなかった。 「オイオイ、マジに言ってるのか? そりゃ考えない方がおかしいことで、むしろサーシャは今すぐ大人になりたい、みたいなこと言ってるが…」 「だって、早くならないといけないんだもの、早くしないと置いてかれちゃうから…」 何に、かは語られていないが、シゲンにはここで何となく察しがついた。ただ、それはある人物との密約による見解でもあるが。 (ヴェルジェの老シスターさんはよほどサーシャが心配な様子で…) 頭の中でそうぼやいた後、サーシャにでこピンした。 「あのな。お前一人が焦ったって大人になんかなれるものでもねぇよ。周りの働きかけって言うのも大事なんだぜ、分かるな?」 とは言ってもサーシャは額を抑えたまま目が泳いでいる様子だ。 「提督とロファール王は知り合いだから、ロファールのことは聞いたことあるんだが、あれは相当の親バカと見た。ヨーダのオヤジは『ヴァルスなんぞとは正反対だ、カカカ』なんて言ってたか…あ、提督のことは知らない方がいい、知れば一生後悔する…まあそんなオヤジを持った日にゃ、ケイトが三人四人いたって甘やかされて育つわな」 先ほど自分が言ってすこぶる気分の悪くなったことをサーシャに説いて聞かせたところ、言ってる自分の顔が青くなっていた。 「そ…それは…確かにお父様は帝王学の本は持ってなかったし、私が何かの弾みで、剣を習うなんて言い出したら、青い顔で止められたわ。でもそれでも甘やかされたことはあんまり…」 「それでも一般人よりは優遇されていた。そんな中でロファールが行方知れずになってこの内乱、ついで海賊騒ぎだろう? 短い間で幼い体にいろんな事を受け止めすぎたんだよ、お前」 納得出来るようサーシャに話すのは難しい。しかし、これだけは言っておこうと思った。 「焦るなよ。今すぐ大人になんてなれるわけはないが、かと言って百年経ってもなれないなんて事もない。大体世の中大人って言ってもメルヘンみたいなのも多いし、あそこで立ちつくしてるのは図体のデカイ子供の好例だな」 最後にはホームズを指さしておどけて見せた。 「あは…それもそうよね」 何を思ったか、ホームズが子供と言うのにはついつい同意するサーシャであった。 「分かればいいんだ…よっと」 と言ったところで、シゲンはサーシャの首をつついて落としてしまう。 (今し方の酒の味は忘れちまえよ…今話した大人のこともな。……コイツには大人の世界は厳しすぎるんだろうよ。小魚にはそれに見合う縄張りで十分だろ…大人になったら可哀相だ…)
夜は、殆どの男子が天幕で過ごすことになり、女性陣は小屋にはいることになった。しかし、ベッドはボロのが二つしかなかった。詫び代わりに、ホームズは一晩かけて無理矢理ベッドを直し、サーシャとカトリに割り当てたのである。その他大勢は床で雑魚寝であった。 「レディを床に寝かせるなんていい度胸じゃないのホームズ…むにゃ」 「髪の毛が乱れる……んーフラウ、ダメって言ったでしょ…ぐー」 寝言でさんざん我が侭言ってるようだが、それでもすし詰めの男性陣よりよほどマシである。そんな時に、小屋の戸が開いたかと思えば、何かの羽ばたく音が聞こえた。たまたま外で起きていたシゲンは、音の主が何者であるかは分かっていた、ゆえに肩をすくめて笑う。 「…ふ、なりが小さくても鳥だよな、サーシャは。篭の中にいたら飛び方を忘れてしまう…だったら好きにさせるべきかな…」 ヘレナさんよ、許せよ。口の中でシゲンは軽く呟いて、役得にも小屋の壁で眠った。
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