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さぁぁぁぁっ… 一行の顔に水滴がかかった。その一際強い風のあと、その大粒の雫は集団の頭を一挙に濡らした。それは一分を待たずして鈍く光る銀の糸となる。 「何? 珍しい…国境近くでこんな大雨なんて」 先頭を馬に乗って行く若い男子が言う。 「こんな所じゃ宿場まで戻るには日が暮れちまいます。さっさと国境の砦を目指しましょうぜ」 隣まで馬を進めてきた黒騎士に進言され、 「うん。ではみんな、このまま砦を目指す、すまないけどもう少し頑張ってくれ」 その言葉を合図に、前から後ろへ、手綱を弾く音が連なる。 「随分降ってきたわね」 その少し後ろで、のんびり感想を漏らす赤髪の女騎士。その後ろには強面の重騎士。ただし今回は彼も乗馬していた。 「ビルフォード…お前乗れたのか」 横にいた茶髪の騎士が今更に驚く。 「何を言うか。こう見えても文武手抜かりはない。…ただ、歌だけは満足に歌えぬのだが」 「は、勉強熱心なことだな」 その男はビルフォードから離れると、雨中をさっさと通り抜けていった。それと入れ替わり、二騎の黒騎士が先の女騎士に横付けしてくる。そのうちヒゲの方が彼女に寄って言った。 「ヤツ…ラフィンもありゃあしゃあないわな。あれほど落ちこんじまってよ」 「それくらい分かっています。ミンツはそっとして置いてほしいわ」 出来るだけ冷静な口調で応対する。外を降る雨は殆ど壁に近く、前を走る隊は殆ど見えなくなっていた。 「そらそうだろよ…でもな…ヤツもなぁ…恋人亡くしちまったんだろうが…」 「ちょっとちょっと!! サーシャを勝手に死なせないでよ」 もう一人の黒騎士がすかさず異を唱えてきた。 「サーシャ…?? そりゃ青髪の姫様のこったろ。俺はスミレ色の嬢ちゃんの事言ったんだがな」 「エステルさんのこと…? ミンツさん、何でそんなこと思ってるの? もう女の子の間では公然の噂なのに。サーシャとラフィンさんのこと。ねぇレニーちゃん」 彼女は後ろに乗った猟師らしい少女に言ってみたが 「え? …全然知らなかった」 と連れない反応を示した。 「…ともかくミンツさんのは多分見当違いだと思うよ!! じゃね」 決まり悪さから逃げるようにそそくさと退散していくのだった。 「…あながち間違ってはいないのだけどね。…恋人、か」 先の女騎士がぽつりと言ったのを聞き逃すミンツではなく、時分なりにドカドカ考えを進めていってしまう。その頃、さっさと先に進んだ茶髪の男は、こんな雨の日を、少しずつ思い出し始めていた。
「ここが正念場だ。何としても奴等に阻まれるわけにはいかない。リーヴェ王宮へ! 敵防衛戦を突破する!!」 全同盟軍の代表という名目を抱えることになったリュナンの宣言により、ここに同盟軍と帝国との総力戦の火ぶたが切って落とされた。しかし、高台に備え付けられた弩弓と王宮を囲む投石機、加えて同盟軍本陣にまで展開された木馬隊と圧倒的物量に、精兵を何人も抱える同盟軍としてもジリ貧になりつつあった。さらに、折からの不安定な天気はこの辺りになって一気に崩れだし、見渡しのつかない大雨を生み出す。 「…さて。じゃああたし達の出番ね。ふふっ、これからは目隠ししてても勝てるから、安心して下さいな」 形勢不利と思うや否や、天馬騎士の少女が余裕綽々の顔で名乗りを上げた。 「ちょいと待て!! ほんじゃ俺達叩き上げの立場は? フラウ!」 真っ先にノートンがかみついたが聞き入れられなかった。 「いい。これからは少数精鋭で先頭を叩く。 しかしフラウ以下十名、責任は重大だ…決して抜かるな!!」 「おっけーおっけー。大丈夫よ、公子様」 気楽に返事をしてから 「さて、サン? そろそろ行きますか」 共に精鋭隊…むしろ決死隊を率いる立場に立った盟友に声をかけたあと、自ら先陣を切り敵に食い込んでいく。すると、木馬と弩弓が同士討ちを始めてしまった。それに加え、サン達単騎の機動力で背後を突かれ、後続が段々崩れ始めた。それ以前にサン自身が人外の強さに達し始めているからなのかも知れない… 「…我々の立場はないが、割り切ってこのまま進軍する」 少女らの決死隊行動を見て士気を無くしたラフィンやリュナンであった。しかし、戦場を掻き乱された帝国軍の布陣もぐらつき、趨勢が同盟軍に傾きつつあった。しかし… 「竜騎士団!! 側面警戒して!!」 負傷者が多く再編に時間を要したエステル隊だけが大きく出遅れた。既にサン始め決死隊と本体は城への進軍を始めているところだった。そして同時に、高台の上で拠点を構えていたジュリアス竜騎士団の精兵が編成を完了し、後続のエステルに襲いかからんとするところだったのである。 「くっ!!」 上空からの攻撃に応じきれず、足並みが乱れていく。そのままでも一騎必死の応戦を展開するエステルだったが…背後から飛んでくる弩の矢に気付かずに……。
「?! 雨が…止んだ?」 既に勝敗は決したも同然だったが、異様なまでの執念でエルンスト将軍が門を死守していた。そのために接近もままならず、軍が足止めを喰らっていた。その中で、ラフィンには胸騒ぎがした。さっきまで降っていた雨が、突如として止んだのである。歯ぎしりして大慌てで平原を逆戻りしていく。 同時刻、 「あ…たいへん」 急に振り向いたリーリエ。近くのアトロムが制止するのも聞かず一直線に走った。視線の先には、背に弩の突き刺さった女性の姿、さらに撃墜された飛竜の死骸があった。気が触れそうな死臭が辺りを包んでいるのが分かる。しかし、リーリエは躊躇することなく中に進んでいくのである。そして、その中の一つに手をかけた。 「えすてるさん…」 キズに触れないように揺さぶる。返事はない。それから。 「えすてるさん?」 彼女に向かって、今度は歌い出す。勿論、この中に敵がいないわけでもない。しかし、死骸の中央で歌い出す行動に死霊的な何かに憑かれた気分になり、恐ろしくて接近すら出来なかった。 「リーリエ!!」 そこへ走ってきたアトロムにも、敵兵達は何かを感じて怯えた。 「ここは危険だ、速く離れるんだ!! …エステルさん!? リーリエ、治療を…」 しかし、リーリエはただ歌うだけだ。 「治療を!!」 再三再四言われて、ようやくリーリエがアトロムの方を向く。しかしその顔はくしゃくしゃだった。 「ダメだよ、アトロムぅ…聞いてくれないもん、あたしの歌。…何も言ってくれないよ…あたし、こんな歌ってるのに…ダメだよ」 「…ナ…そんなことはない!! 助けられるなら助けないと…だから君はここに来たんじゃないか!」 そこに、クライスに介添されてレティーナが現れた。 「イヤな予感がしたので無理を言って来ました…リーリエ、見せて」 「やっぱり…あたし、ダメだったんだ…」 ぐずるリーリエをなだめ、アトロムは下がらせた。が、レティーナはエステルの体に触れた途端、触れた自分の手を握りしめた。それから、見えない目で掌を見つめるような仕草をして 「…私では…お役には立てません。もう…人の手には負えない…御免なさい」 消える命に直接触れた感触を握り、大きく肩を震わせる。それをクライスが支えた。 「…うう…」 その時、漏れ出るような声がエステルの口から発せられる。しかし、空いた穴から血が噴き出す。 「ここは…どこ…わたしは…みえない…どこにいるの」 それが聞こえた瞬間飛び出したリーリエ。 「聞こえる? あたしここにいるよ? ねえ、分かるなら、あたしの歌聞こえた?」 あまりに彼女らしくもない口が次々にリーリエの口から流れる。しかし、リーリエの掴んだ手を、エステルは弱々しく握り返すだけだった。 「あにうえ…? ここに、いるの? 言わなきゃいけないことがあったの…」 「いません…ラフィン様はここには……」 「…いままで…ありがとう。ラフィン…このピアス…嬉しかった。 生意気言ったけど…本当に買ってきてくれたのね…」 「だめだよ。目を覚ましてよぉ…歌聞いて…らーらーらー」 「いま気付いたの…貴方が…ずっとわたしを守ってくれてたこと…わたしを想ってくれたこと…貴方に好きな人が出来た時に…やっと。…側に…いてくれるのね? わたしの方こそ…分からなくてごめんなさい…無理な事言って…でもわたし…本当に…好きだ…た…ラ…ィン」 その言葉を最後に、すぅっと眠るように彼女は静かになる。絶え絶えの息遣いは消え、残ったのは理由無く流れるリーリエのよどんだ歌声、そして同時にうなる老将の怒号だけ…その後、刺さった弩を引き抜くイヤな音がしたあと、衣服をはだけられたエステルの体に水が注がれた。 その、二十分後だった。 「エステルっ!!」 駆けつけたラフィンの前に映ったのは、先ほどと違う柔らかな草の上で、両手を前で組まされ、今際の化粧を施された義妹の姿ただ一つ。その直後、止まった音が再び雨となって一気に動き出した。化粧も、流されていく……。
「…くっ!!」 雨の中、それに気付くこともなく戦闘に埋没していた、そのためにエステルを失った自分のバカさ加減、さらに自分に内在する闘いを楽しむ半狂乱な心、おまけに一番近くにいたエステルの想いを汲めなかった己の鈍さ。 その全てを思い出し、自分はサーシャと向き合えない、と思い、こうして逃げるように彼女から隠れた。しかし、こうしていてもエステルを失った事実は消えない。でも、このままでサーシャと顔を合わせられはしなかった。だから、自分はまたも逃げる。結局は己の半生を再度思い知らされるのだ。形にならない無念を抱え、ラフィンはただバージェの地を目指すより無かった。
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