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…もう、あの戦いから何年を経たのか…記憶してはいない。今思い返せるのは、船上の語らいと彼女の嘆きだけ。あの人自身の悲しみは私の琴線の最も細い部分をも掻き乱す。だからと言って私にそれを背負うほどの器はなく…結局。うやむやのままに時は過ぎ、このウエルトにも何度目かの冬が訪れた。
「ぃよう、ケイト!! 良いもの持ってるじゃねぇ」 その日、店に頼んでおいたお酒など持って家に戻る途中だった。何年経っても変わらない二人組の片割れ─ライネルが急に前から出て来たのだ。 「相変わらずね…貴方もノートンも」 こういう同僚との付き合いで覚えた皮肉を冗談交じりに言ってみる。家の教育では一生覚えなかっただろう言葉だ。 「わっはは、そりゃあお前にはな。いっつもそんな『のーん』としてりゃあ誰だってそう見えるだろ」 経験通りに平然とそう返してくれる。以前ならただ気分が悪いだけだが、今の時期にあっては否定も出来ないし、第一それに堪える精神が身に付いている。それを「世渡り」と世の人は言うらしい。 「冗談は抜きにして貴方本当に変わらないのね。何だか変な気分だわ」 「そう言うお前だって最近やっと年齢相応になってきたじゃないかよ。実を言うとオレ達二十になる前から顔付き合わせてるんだぜ? そんな時から『のーん』だろうが、お前は」 ズズイっとこっちに顔を近づけてニタニタ言い出すところだった。 「そう言う貴様も初見の頃から間違った不良じゃねぇの。お前の顔見てると今がいつだか忘れちまう」 いつからいたのかノートンが加わり、ライネルの肩に手を回し笑い始めた。つまり今私はこの二人とかなり距離を近くしているわけである。…しかし、正直に言えばこの二人の顔は、いささか怖い。 「おお、誰かと言えばケイトか。何だ、そんな強ばった顔で」 妙な語調でノートンが話してきた。 「何? 私がいてはお邪魔?」 「あー…まあそんなことぁねぇんだけど、よ…」 やり取りの中途で、目の下を傷だらけの指でかいている。…何だか血の気が引きそうだった。 「何だ何だ、ケイト相手に何照れてンだぁー」 今度はライネルがノートンの肩に触って薄笑いした。相変わらず仲の良い二人だと思った。 「オイオイ待てよ、いつおれが照れたんだよ??」 そうは言っているが、実際ノートンの顔には脂汗か何かが浮いている。そんな彼の心中見破って 「誤魔化すなよ、鼻が赤くなってるぜ。そっか、オレのワァイフを見たとき以来だな? 石みたいに固まっちまって顔なんか真っ青だってのに、鼻ばっかり赤かったよなぁあの時は…」 と、聞いていない思い出話に無理矢理花を添えた後で 「って、んげ!! うっかり女の前で口滑らせちまった…」 と、今度はライネルの顔が真っ青になった。…しかし、私はライネルの発音があまりに田舎じみていたために聞き取れはしなかった。 「……おい。今の衝撃的事実に対して感想は」 見るとはナシにずーっと見ていた私に、二人の目が一気に向いた。しかし、私には今の話が何だか分からなかった、と正直に述べるほかなかった。すると二人はすぐ色を取り戻し、 「聞かなかったならよし。聞いたとしても同僚の女には他言無用だぜ」 そんな事を揃って言ってくる。…しかし、重ね重ね私には分からない。 「同僚と言っても、近衛にも中央の守備隊や王都警護隊、宰相親衛隊にも女はいないわ。それに私何も聞いていないし…」 「おおそう言えばケイト。お前髪切ったんだなぁ」 まだ答えてもいないのにノートンがそんな事を言ってきた。確かに自分のくせ毛を思い切ってバッサリ切ったけど、まさかこの二人がその話題を持ち出すとは思わなかった。 「の、ノートン、どうしたのよそんなこと急に」 そんな私は思わず慌てたが、ノートンの方も言った自分に戸惑っているようだ。 「まあ、お前とは結構な付き合いだしなぁ…」 「いい加減にしとけよノートン。その場の誤魔化しだってのケイトにもバレバレだぞ」 うろたえる彼に、ライネルの冷徹な宣告。 「ちぇ、そう言ったってな…」 そんな時に、風向きが変わった。 ……… 「…ん? ケイト何だ? 何かあったか」 風と向き合って立ちつくしている私にかけてくる声が、ライネルのかノートンのかは判別が出来なかった。他に声が聞こえてきたような気がしたのだ。 ───…何だ、騒がしい連中だ……─── 最初にそれを聞いたのは、ノートン達と私が、平和な折に最後に会ったときでもあった。
「何?? 学科が悪くて王宮勤めが出来なかった? それで王都の詰め所に配属だってか? アーハハハハハ!! 傑作だぜノートン!! もうちょいお勉強しろよなぁ」 「そう言う貴様こそ上官と向き合った途端メッタメタだと聞いたぞ? 普段からそんな髪がたしとるからだ」 「ぬぁにー?このゴリラ野郎、面を無茶苦茶に伸ばしたらぁ!!」 「二人とも止しなさいよ、人が来るわ…」 「ケイトとやらぁ、止めたら男の名折れにならぁーー」 「やるかライネル、容赦せんぞー」 王宮での配属に関して学科試験が行われた月の終わりのことで、往来の真ん中で二人が変な争いをしていたときのことだった。 「…騒がしい……」 ただ一言だけ言って、それからそこのベンチに座り、地味な装丁の本を開き始める騎士がいた。 「ケェッ、お高く止まりやがって…。あれだったな、ヴェルジェ伯の次男坊とか言う野郎は…」 「何だよライネル、鼻息荒くしやがって。アレとやる気か?」 「ノートン、その音はてめえの鼻からか」 「だから二人とも止しなさい。あの騎士、強いわよ」 彼より離れてから、私達はその騎士に対して鼻息荒げるような言葉を述べた。誰もが彼の力を認めるところであったのだ。…しかし。そんなところへ場違いなほどに軽い足音がやってきたのだ。 「ラフィンっ! 何読んでるの」 何故か青い髪をした少女が現れ、近寄りがたい雰囲気を発していた騎士の首に、何の躊躇するところなくしがみついたのだった。娘にしては年を取りすぎているし、妹にしてはいささか幼すぎる。大体、ヴェルジェ伯の娘はスミレ色の髪を一生懸命伸ばしていると聞いたことがあるが、その少女は自分の髪をその都度その都度切ってもらっているようだった。 「何をって…本だ」 それだけを言って、また彼は本に戻った。しかし、 「ねえねえ、だからどんな本なの?」 そう言って少女は余計に腕の力を強めた。 「王女には読めない本だ」 彼はまたそう言って少女の手を離そうとする…。……って、何ですって? 「えー? ラフィンひどいー。私だって読み書きは恥ずかしくないぐらいにって、お母様から言われているのよ? お父様は、お母様にお説教される私のこと見て、笑ってばかりいるのだけど…」 …うう…言葉の端には育ちの良さを感じる…けれども。 「読み書きできても王女には読めない。…いずれ分かる」 すがりつく彼女の頬を、騎士は片手で二、三度とんとんと触れた。 私は、お姫様ごっこの趣味でもあるのだと判断し、そうそうにその二人から離れた。なし崩しでライネル達も続いた
その後、王妃つきの近衛騎士に任命された後、偶然にも王女の顔を拝見する機会を得た。その時は先の少女と王女との容貌が全く同じだったので、極めて仰天させられたことを覚えている。その話は後々としても、今聞こえたのは、いないはずのラフィンの声だった気がする。そして、彼と仲の良かった少女のこと。開けてはいけない鍵が偶然に開いてしまったのだ。 「ラフィン…サーシャ様……。」 ノートン達の見ている前だとも思わず、私は夕暮れの道に座り込んでしまった。
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