サーシャFC

4

「驚かないのね、ラフィン」
 サーシャが不審そうな声を出した。
「それはまあ……誰かが近づいてくる気配を感じていましたから」
 ラフィンが事情を説明した。
「がんばって足音をたてないようにしていたのに」
 王女は無念そうに呟いた。
「衣擦れの音が聞こえていましたよ」
 笑いながらラフィンは指摘し、
「それよりも、その口調……私が驚かなかったことについて『心外だ』とおっしゃりたいように聞こえますが」
 と気になっていたことを口にした。
「それはそうです。だって目隠しをする目的って、いきなり視界を塞いで『きゃっ』という声をあげさせることでしょう? なのに、貴方ときたらニヤニヤ笑っているばかりなんですもの……つまらないわ」
 サーシャはけろりとして言った。
「……仮に私が驚いたとしても『きゃっ』とは言わないと思いますよ。男ですから」
 ラフィンが苦笑まじりに答えた。
「そうなの? ……そういえば、男の人の悲鳴って聞いたことがないわ。どういう声を出すのかしら」
 王女の声にはある期待がこもっているように聞こえた。ラフィンは嫌な予感がし、
「それは……もしや私に叫び声をあげろ、とおっしゃっているのですか?」
 と確認するように尋ねた。同時に(どう断ろうか)と思考をめぐらせる。
「まさか」
 背後でサーシャがぶんぶんと首を振る様子が、その小造りの手を通して伝わってきた。王女は一向にラフィンの目隠しを外そうとしないのだ。
「そんなこと求めていません。驚いてもいないのに、わざとらしい叫び声を聞いても面白くないもの。だから今は我慢するわ」
「そうですか」
 王女の言葉にラフィンは安堵していいものか迷ってしまう。
(『今は我慢する』か……要するに『いつか本気で驚かせてあげる』と宣言されたようなものだな)
 彼は心の中で呟いた。そして、
「ところで、私はいつまで目隠しをされていないといけないのでしょう。そろそろ手を離して頂けるとありがたいのですが」
 とお願いするように言った。無理やり姫君の手を引き剥がすわけにはいかない。
「離してもいいけれど……では一つだけ確認です。ラフィンが今話している相手……つまり私は誰でしょう? これに正解したら目隠しを解いてあげるわ」
 とサーシャが言った。
 ラフィンは言葉を失った。
(これは……サーシャ王女は本気で俺が分からないと考えておいでなのか? それとも、ご自分が何か面白い冗談を口にしていると思っておられるのだろうか?)
 と心の中で首を傾げる。この姫君は時折妙なことを口走るのだ。
「分からないの、ラフィン?」
 王女は楽しそうな声で聞いてきた。『私は誰?』というのはどうやら本気の質問らしい。
(ならば……)
 ラフィンは口元にそっと悪戯っぽい微笑を浮かべた。
「もう一度質問しまーす。私は誰でしょう?」
 能天気な調子で問い掛けるサーシャに対し、
「ケイトですか?」
 とラフィンは答えた。
「え、『ケイト』……? ひどーい……!」
 彼の返答を聞くや、サーシャがパッと手を離した。
「私のこと、ずっとケイトだと思いながらお喋りしていたのね。ひどいわ、ラフィン」
 ラフィンの肩を掴み、ゆさゆさと揺すりながら王女が言った。
「何でそうなるのですか」
 王女に揺すられ首をカクカクと振りながら、ラフィンは抗議した。体の振動に合わせて声も揺れた。
「つい今しがた『分からないの?』と愉快そうにおっしゃったばかりでしょう?」
「むー、何となく腹がたつのです」
 そんな風にサーシャは返事をしたが、その声には笑いの成分が含まれていた。本当は気分を害したわけではなさそうだ。子猫がじゃれつくのと同じ感覚でいるのだろう。
「降参です、降参。揺するのはやめてください。ちゃんとサーシャ王女だと分かってましたよ」
 笑いながらラフィンは両手を小さく上げ、降参の素振りをしてみせた。
「そもそも言葉遣いで、私が貴女だと分かっていたことを理解してくれないと。私が敬語を使う対象はごく限られているということくらい、王女もご存知でしょう?」
 ラフィンがそう言うと、不意にサーシャの動きが止まった。
「あ、そうか……」
 と王女は小さな声で呟いた。そして、ふと思い出したように別のことを口にした。
「ね、ラフィン、隣に座ってもいい?」
 そう言うやサーシャは背後から移動して、いそいそとラフィンの傍らに腰掛けた。
「……返事をする前にサーシャ王女は私の隣に座ってしまわれたわけですが、私は何と答えればよいのでしょう」
 ラフィンは途方に暮れたふりをした。
「男の人がそんな細かいことを気にしてはだめなのです」
 サーシャはけろりとした表情で言った。そして口をつぐみラフィンの顔をじっと見つめる。
「……?」
 王女の探るような視線の意味を理解できず、ラフィンは怪訝そうに首を傾げた。すると、
「ラフィン、元気?」
 サーシャがおもむろに尋ねてきた。(何だ、唐突に?)とラフィンは思ったが、
「お陰様で日々息災に過ごしております」
「難しい言葉を使わなくてもいいわ。要するに元気ということね」
「はあ、まあ」
 ラフィンは曖昧な微笑を浮かべた。王女は何を言いたいのだろう。その内心を推し測ろうと想像を巡らせたが、すぐにラフィンは挫折した。年頃の女の子の考えることなど、元より彼のような生粋の武人に分かるはずもない。
 一方、サーシャはひとりで何やら得心したらしく、彼の傍らににちょこんと腰掛けたままニコニコと微笑んでいる。
「貴方が元気だというのなら、私の言うべきことは何もありません。安心したわ、ラフィン」
 嬉しそうな声で言いながら、ラフィンの背中をサーシャの手がポンポンと叩いた。
「『安心』ですか。どういうことかさっぱりですが……まあ、ご安心いただけて何よりです、サーシャ王女」
 ラフィンは生真面目に返事をした。
「うん、安心安心」
 クスクス笑いながらサーシャが言った。
 王女の笑顔を見ているうちにラフィンの心も和んできた。
(そうか……)
 ラフィンは胸の中で呟いた。先刻の問いの回答を見出したような気がしたのだ。
 自分の中に積み重なった記憶がある。
 初めて王宮へ伺候したときに始まった数々の思い出。
(それはとても大事なもので……だから俺は……)
 考えながら、ラフィンは目の前の少女の碧眼に吸い込まれるような心地を味わった。
 ガルダの声はいつしか聞こえなくなっていた──

[16-06-05]

HOME | 管理人部屋(サーシャ小説)